マリン事業においても彼らは南米の奥地に船外機を運び、まだ木のくり舟で漁業を営んでいた現地の人々に、漁法を教えるところから市場の開拓を始めたという歴史を持っている。泥の多いアマゾン川流域で鍛えた船外機の技術は「エンデューロ」という製品となり、新興国でのシェアを一気に伸ばしていく起爆剤となった。

(左)NPM事業統括部長 トリシティ開発責任者 海江田 隆氏(右)海外市場開拓事業部長 稲村徹哉氏

いまもアフリカなどを中心に活動する海外市場開拓事業部長の稲村徹哉は言う。「30~40年前、我々の先輩の営業マンたちは、中東の国の砂浜の上でごろ寝し、翌日には次の村に向かうようなやり方で市場を開拓していきました。二輪車で大きな市場となったインドネシアでも、最初は大学の寮に泊めてもらいながら開拓していったんです」

そのように全くの新しい土地で、新しい需要を作り出そうとしてきた伝統がヤマハ発動機にはある。「20年後、30年後を見据えたヤマハらしいモビリティを探し、新たな事業へとつなげていきたい」

柳の語る「ひとまわり、ふたまわり大きな個性的な会社へ」という掛け声もまた、そうした「ヤマハ発動機のDNA」を受け継ぐものだといえるだろう。

(文中敬称略)

稲泉 連(いないずみ・れん)
1979年生まれ。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『豊田章男が愛したテストドライバー』(小学館)、『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房)など著書多数。
(市来朋久、プレジデント編集部(海江田氏、島本氏)=撮影)
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