男性主体の営業職で必死に走り続ける日々

人数が多いということは、出世競争も熾烈(しれつ)になるということだ。入社時に埼玉支店の営業部に配属されて以来、とにかく必死に働き続けてきた、という思いが彼女にはある。

忙しい中でもコミュニケーションを重視。部下たちの担当先の様子はこまめに話を聞くようにしている。

「女性の総合職を多く採用した年とはいえ、営業部が男性社会であることに変わりはありません。女性の営業は少し頑張っただけでも評価される一方で、失敗すると『やっぱり女はダメだ』と言われる時代。そのなかで、とにかく走り続けた新人の日々でした」

今も昔も営業部員の基本は外回りだ。朝、出社後に朝礼を行うと、社用車に乗って得意先を回る。酒販店や卸問屋を一軒一軒訪ねるうち、家族経営の得意先と食事をしたり、夜に酒を一緒に飲んだりするようになった。

「お得意先のご主人や奥さまには、仕事を一から教えてもらいました。当時は卸の営業さんや酒販店の社長さんが、メーカーの新人を育てていく雰囲気があって、それこそ、挨拶の仕方から商品の売り込み方まで、一日中彼らに同行させてもらうことで仕事を覚えていったんです。時にはご用聞きみたいなこともしながら、商品を売り込むのが当たり前。今の若い子たちにはなかなか伝わらない感覚ですが(笑)」

営業の仕事をしていると、夜も得意先や同僚と飲む機会が多い。入社から7年間を埼玉の営業所で過ごした彼女は、いつしか朝5時に起きて風呂に浸かり、気分を切り替えてから出社するのが日課になった。その生活のスタイルは、支店長となった今でも変わらないという。

(上)全国で80人の支店長のうち、女性は3人。今後の増加も期待される。(下)得意先との商談に見せながら使えるiPadは大活躍。名刺入れや手帳も常に持ち歩く。

そうして営業部員としての経験を積んだ鈴木さんが、最初の転機を迎えたのは98年。卸問屋や酒販店に対する業務用の営業部から、スーパーマーケットなど量販店向けの営業を行う首都圏本部広域流通部へ異動したのである。

量販店ではこれまでのように「自分で売って商品を取ってもらう」という手法は、通用しない。担当者ときちんと交渉し、仕事を進めていかなければならない。全く異なる営業スタイルを再び一から身に付ける必要があった。

幸運だったのは、90年代後半からの数年間は家庭への瓶ビール配達から店舗での缶ビール購入にシフトし、量販店での売り上げが急速に伸びていく時期だったことだ。

「頑張れば頑張っただけ数字に跳ね返ってくる。営業にとって、面白くないわけがありませんよね。最初は自分の積み上げた7年間の経験を、ここで全て捨てるのかと不安があったのも確かです。でも、結果的に業務用・量販店という双方の営業を経験したことで、私はこの仕事が自分の天職だという思いを強くしていったと感じています」