コンプレックスは消えないが、受け入れることはできる

小さい時の経験を、一時は忘れたり、克服できたと思っていても、学校生活や会社の中で、あるいは新しくつくった家族の中で無意識に掘り起こしてしまう。そして、それを指摘されると、そんな自分を認めたくなくて、「僕はそんなことは言ってないし、思ってない!」とますますムキになってしまう。コンプレックスとは、本当にやっかいなものです。

親やきょうだいと、その後学校や会社で出会う友達や同僚、先輩たちとは別の人間です。しかし、小さい頃の家族との経験は、対人関係における「型」のようなものとして定着してしまい、家族とは関係のない人との関わりの中でも、そのパターンを繰り返してしまいます。僕たちは、そのような根深くて複雑な「型」のようなものと共存しながら、きわめて不安定な存在として生きているわけです。

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
慶應義塾大学特任准教授/株式会社NewYouth代表取締役
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修了、修士(政策・メディア)。専門はコミュニケーション論。人・組織・社会における創造的な活動を模索する研究者・プロデューサーとして、「NEET株式会社」や「鯖江市役所JK課」など実験的な政策やプロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
http://wakashin.com/

この問題は、どうすれば解決できるのでしょうか。「コントロールできない自分」をコントロールできるようにしたり、そんな自分をなくしたりすればいいのでしょうか。

残念ながら、コンプレックスは根本的にはなくならないものだそうです。

しかし、自分のコンプレックスを知って、受け入れることはできます。「コントロールできない自分」は、自分としては認めたくないものだと思いますが、そのままでは人間関係におけるズレやややこしい悩みを抱えたままになってしまいます。

なくならないのだから、それも自分の一部、自分自身であると認める。そして、コントロールはできなくても、ちゃんと付き合っていくことが大切なのだと思います。

僕は、自分への自己愛性が強く、特別扱いや目立つポジションを無意識に求めるエゴイスティックな子どもでした。当然、それは恥ずかしいことなので、できるだけ隠そうとしていましたが、役割分担やポジションを決めるような場面では、ついついムキになり、それがうまく運ばなければ全くやる気が出ない、自分より恵まれたポジションの人を過剰に意識して妬む気持ちばかり強くなる、というコンプレックスを抱えていました。

しかし、どうやっても直りそうにはないので、ある時を堺に、すっぱりと認めて、それも自分自身であると受け入れるようにしました。すると、最初は恥ずかしさもありましたが、仕事の仲間や関係者などにも、そんな自分の内面を素直に開示できるようになり、自分の振る舞いを笑って許してくれたり、役割やポジションを気遣ってもらえたりするようにもなりました。認めて、受け入れたことによって、複雑な自分の内面が、少しずつ「コントロールできる自分」と統合されていったのだと思います。

自分自身を、根本からすっかり変えてしまうことはできません。お金や社会的成功も大切ですが、そんな不安定でややこしい自分自身とちゃんと付き合えるようになることの方が、仕事や私生活における重要な幸福の条件だと思うのです。

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