「良心」が主「自利心」は従に

私は、企業統治には「自利心による企業統治」と「良心による企業統治」の2つがあると考えています。一般にコーポレートガバナンスと呼ばれている欧米型の企業統治は、もっぱら自利心による企業統治といえます。

自利心とは、「他者のためにはならなくても自分のためにはなる」ことを志向する心です。「報酬を増やしたい」「地位や名声を維持したい」といった気持ちがそれです。コーポレートガバナンスは、経営者のそうした自利心に訴えるものです。例えば、業績連動型報酬は経営者の金銭欲に応える仕組みですし、社外取締役を増やして取締役会の独立性を高めるのは、経営者が何か悪さをすれば、その地位が脅かされやすくする状況を用意するためです。

他方、良心とは「自分のためにはならなくても他のためにはなる」ことを志向する心です。「顧客や従業員を幸せにしたい」「経営者として立派に職責を果たしたい」「世の中をよりよくしたい」といった経営者の良心に基づき、健全で活力ある経営をするのが、良心による企業統治です。

「日本企業は企業統治が欠如している」といわれてきました。確かに、欧米型の自利心による企業統治は欠如していたでしょう。しかし、それを補う形で、良心による企業統治が機能していたと私は考えています。それが日本企業の強みでもありました。ところが、従来の企業統治に関する議論は、自利心によるものばかりで、良心による企業統治は見過ごされてきました。そのため、日本企業には企業統治が欠如しているという認識が広まり、日本の企業は欧米型のガバナンス改革を進めて今に至っているのではないでしょうか。

日本の企業が活力や健全さを高めるには、良心による企業統治に意識を向け、それを強化することが必要です。最近、日本の企業に元気がないとよくいわれますが、それは、「世の中をよりよくしよう」という志が失われかけているのも一因だと思います。志や責任感などの良心は、自利心による企業統治を強化しても出てきません。いくら報酬を高めたり、規制を強化しても、喚起されるものではないからです。

だからといって、自利心による企業統治を否定しているわけではありません。人間が利欲を持つのは当たり前のことですし、自利心は経済活動の主要な活力源でもあります。それに、海外の投資家の理解を得るには、ガバナンス改革も必要でしょう。

大事なことは、良心による企業統治と自利心による企業統治を併用することです。ただし、「良心を主、自利心が従」というバランスを維持することが重要です。自利心は良心よりも優勢になりがちです。そのため、自利心を主にすると、自利心が膨らみ、良心をしぼませる恐れがあるからです。自利心ばかりに働きかけていると、良心に基づいて行動してきた経営者も、自利心だけにとらわれて行動するようになる恐れがあります。

では、自利心による企業統治を導入しつつ、良心による企業統治を守っていくには、どうすればよいでしょうか。最も基本的なところでいえば、日々の業務を通じて良心を涵養することです。自分の一つひとつの行動の動機が、良心なのか、自利心なのかを弁別し、良心による行動と、そこから得られる「歓び」を大切にしていくのです。こうした取り組みを自らのキャリアを通じて積み重ねていくことが、良心を育てる一つの方法ではないかと思います。

同時に環境面でも、良心による企業統治を可能にするような工夫が必要です。ポイントは、経営者を「信じて任せる」ことのできるステークホルダーを持つことです。人は、他者から信頼や期待を寄せられると、それに応えたいという良心が喚起されるからです。かつての持ち合い株主や社内取締役は、その役割を果たしてきました。それらに代わる仕組みの一例として注目されるのが、トヨタ自動車が昨年、初めて発行した「AA型種類株式」です。同株式は、5年間は譲渡できませんが、元本が保証され、配当額が1年ごとに増加するなど、長期保有の株主を確保するための仕組みになっています。長期保有の株主は、信じて任せるステークホルダーといえます。また、社外取締役でも、経営者を信じて任せることができ、しかも任せっぱなしにはしない、それだけの度量と力量のある人物であれば、株主の負託にも応えつつ、経営者の良心を喚起することができるでしょう。

(構成=増田忠英 写真=時事通信フォト)
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