原稿を“読む”と“話す”はどう違う?

「敗北宣言」が一時話題になった。

ヒラリー・クリントン氏が大統領選挙でトランプ氏に敗れた際に、何か憑きものが取れたかのようにサッパリとした表情で聴衆に語りかけたものだ。今の分断された社会に警鐘を鳴らし、また若い女性達に向けて生き方の指南ともとれるメッセージを残した。原稿を読むこともなく、自らの言葉を伝える様子は、「これを選挙戦でやっていたら勝てたかもしれない」と思わせる、魅力的なものだった。

一方、今年に入って安倍晋三首相が「云々(うんぬん)」を「でんでん」と誤読し、「文字が読めないのか」などと騒がれた。真相は定かではないが、これはおそらく“棒読み”していたためだろう。書かれた文章の内容を考えることなく文字面だけ見ていたために、見間違い、読み間違いをしたのではないだろうか。

安倍氏の姿は、“用意された原稿をそのまま読んでしまった人への罰”のようだった。似たようなことは、記者会見や株主総会といった場面でも起こりうる光景かもしれない。

ヒラリー氏と安倍首相のスピーチは何が違ったのだろうか。それは、“話した”か“読んだ”かの違いだ。

「棒読みではなく、血が通ったように話すことが必要です」と話すのは、マツモトメソッド代表取締役の松本和也さん。松本さんは元NHKアナウンサーで、現在はビジネスシーンでのコミュニケーション術を指南している。

「“読む”というのは、目に入ってきたものを音声化しているだけです。原稿を読んではダメです。目に入ってきたものを脳の中に入れて、自分の言葉として前に向けてしゃべるのが“話す”ということなのです」

“読む”と“話す”とでは、頭の使い方も大きく違ってくる。

ヒラリー・クリントンの演説動画(NBC NEWS)上野氏による全訳はこちら