40代をどう生きるか

【宮内】イチロー君はもう42歳か。初めて会ったときは少年のようだったけど、今日話をして、人間としても立派になったと実感するね。

【イチロー】オーナー、嘘つくときの顔をしていますよ(笑)。

【宮内】いやいや、ホントよ。僕は野球界で、なるほどなと思った人がもう一人いる。あなたが3年目のとき近鉄から招聘した仰木彬監督です。彼は僕と同い年で、亡くなるまでずっとおつきあいしたのだけど、非常に立派な人だった。昔の野球道というのかな。何か道を究めるのは山に登るようなもので、人間が鍛えられるのだということを仰木さんに教えてもらった。似たところを、イチロー君にも感じるんだな。

【イチロー】似ているかはさておき、僕も仰木監督からはたくさんのことを教えていただきました。レギュラーで使ってもらえるようになった1994年の4月、僕は4打数1安打で2塁打を打ったものの、チームが負けたことがありました。負けたときの帰りのバスはお通夜みたいな雰囲気で、僕もしょんぼりしていたら、監督に「なぜ暗い顔をしてるんだ。2塁打1本打ったのだから、おまえは喜んでいればいい。あとの責任は俺が取るから、おまえは自分のことだけを考えろ」と声をかけていただいたのです。そのとき、この人すごいな、僕はこの人のためにやりたい、と心底思いました。本物の上司は部下にそんな思いを抱かせる人ではないでしょうか。

【宮内】仰木さんは「監督は何もする仕事がない。試合前にメンバー表を渡したらそれでおしまいです」と言うんだよね。彼は選手を本当に信じて任せていた。あれはなかなかできない。

【イチロー】選手は放っておかれたら、自分でやるしかないんです。ただ、監督は使い分けていたのではないでしょうか。僕のようなタイプには「おまえは自分のことだけやれ」と言っていましたが、自分に甘い人には裏でビジバシやっていました。すっとぼけているように見せていますが、本当は選手の時間の使い方や性格までしっかり見て、それを踏まえて指導を変えていた。

【宮内】ところでイチロー君は40代という年齢をどう受け止めているの?

【イチロー】野球選手の選手生命平均がどれぐらいなのかわかりませんが、仮に30歳だとするなら、僕はもう死後の世界に到達しているようなものです(笑)。でも、道具や環境が進化している中で平均寿命だけ変わらなかったとしたら、野球選手は退化していることになる。だから本当はもっと40代で活躍する選手が出てもいいはずです。世間で40歳が野球選手の節目として見られているのは、僕の先輩たちがそれを超えてこなかったからです。先輩たちを超えることが後輩の使命です。