国政での立ち位置をどこに見いだすか

大阪維新の会が日本維新の会という国政政党を必要とし、それを設立し、大阪色が強いものの勢力を拡大できたのは、大阪維新の会が提唱した政策を実現するためには国政レヴェルでの政策の実現、具体的な例は大阪都構想実現のための特別法の制定であるが、それが必要であったことが大義名分の一つであったわけだが、「東京大改革」の実現のために、通常の国との連携以上の国政レヴェルでの動きが必要かと言えば、現段階で示されている情報に基づく限り、必要であるとは言い難い。

小池知事の総理の座への野望といったものとの関連で、国政政党化もありうべしといった見解も見られるようだが、そもそも小池知事の「野望」とやらも脚色の世界の話のような気がしなくもない。都知事という地位を確保して「東京大改革」を進めようと言っているのに、そう簡単にその地位を放り出すとは考えられない。同時に、自分たちの新たな足場・居場所を確保するために、一部の国会議員が小池「新党」との連携に動いているとも聞く。もしかしたらそうした議員が笛を吹いているのかもしれないが。

ただし、今後、国と対立する場面や自民党との対立が激化した場合には話は違ってくる。何といっても7月の都議選では都連とはいえ自民とぶつかるわけであり、否が応でも高まる小池人気の勢いに押し流されて自民党が大敗するとも言われている。そうなれば、大阪維新よろしく、いざ国政へという意見や動きが出てもおかしくはない。それがために、与党は今年の秋には衆院の解散総選挙に踏み切れず、年末から年明け以降にせざるをえないという話もあるくらいである。

もっともその時、誰を「敵」に据えるのだろうか?また、自民党でも民進党でもない有権者の支持を集める国政レヴェルでの立ち位置をどこに見出すのだろうか?少なくとも「東京大改革」ではない。

また、「東京大改革」もその具体的な措置や事業が進められていけば、当然に壁にぶつかったり、課題が浮き彫りになったりすることが考えられる。そうしたことへの対処を間違えれば、都議や有権者の小池離れが起こらないとも限らない。期待が外れた、期待を裏切られた支持者は急速に離れていくだろう。