40歳からフィリピンに通い、英語を本気で勉強

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【田原】英語を勉強し直そうとしたのは40歳。まず何から始めましたか。

【藤岡】英語を話す環境に身を置いたほうがいいと考えて、留学を検討しました。ただ、東京で仕事をやっているので遠くにはいけません。日本から一番近い英語圏はどこかと探したところ、フィリピンのセブ島に英語学校があることを知りました。値段が欧米留学の半額以下で、何よりマンツーマンで教えてくれることが魅力でした。

【田原】アメリカの学校はマンツーマンじゃなかったんですか。

【藤岡】アメリカは1対20のグループ。だからついていけなくても、授業はどんどん先に進んでしまう。グループ授業だと二の舞いになりそうだし、マンツーマンなら、メーカーのオーナーと話したいというニーズに合わせてオーダーメイドで授業をやってくれるんじゃないかという期待がありました。それで、セブに行こうと。

【田原】セブの語学学校は、現地の人が経営しているのですか。

【藤岡】いえ、当時は韓国系の学校ばかりでした。韓国は1997年に経済危機があって、海外に出ていかなければいけないと意識が変わった。英語熱が高まった彼らが留学先として目をつけたのがセブ島です。2000年ごろから英語学校が次々に設立されて、私はその中でも一番大きなところに留学しました。「生徒の95%が外国人」という触れ込みでしたが、その95%は全員韓国人。つまり韓国人が韓国人のためにつくった英語学校でした。

欧米への英語留学と違い、フィリピン英語留学では先生と生徒がマンツーマンの学校も多い。

【田原】英語学校のシステムがよくわからないのですが、授業は何時間くらいあるのですか。

【藤岡】1日8時間です。欧米の学校は1日3~4時間で午後は自由という形が多いですが、フィリピンは1日中授業があり、3食付き。学校の中に宿泊施設があって、授業以外でも勉強できる環境が整えられていました。ジムやプール、シアタールームも併設されていましたから、その気になれば一歩も外に出ないで生活できます。これは学習効果を狙ってというより、観光客が夜中に歩いて平気な環境ではなかったことも大きかったと思います。

【田原】実際に行ってどうでした?

【藤岡】最初に1カ月いきました。どうせ1カ月じゃ伸びないだろうと思っていたから、最初は様子見で遊びにいったような感じでした。

【田原】1カ月も自分の会社を放っておいたんですか。心配じゃなかった?

【藤岡】当時の副社長に自分の代わりができるよう鍛えるのに2カ月かかりました。おかげで私が不在の間もうまく会社を回してくれて、とくに問題は起きなかった。逆に私の居場所がなくなってしまったくらいです。会社は任せられるようになったので、最初の留学から帰国後も東京とセブを行き来する生活を10カ月続けました。

【田原】またセブ島に行ったということは、手ごたえがあったということですか?

【藤岡】英語がすぐ上達するかどうかはともかく、少なくても続けられると思いましたね。マンツーマンだと自分しかいないからサボりにくいというのもあるし、何より先生が一生懸命にやってくれるから、それに応えなきゃという気持ちになれます。

フィリピン人のホスピタリティは世界一

【田原】先生はフィリピン人?

【藤岡】はい。フィリピン人のホスピタリティは世界一です。フィリピンには兄弟10人くらいの大家族が珍しくなくて、みんな助け合って生きています。世界中で家政婦さんや看護師さんとして引っ張りだこになっているのも、思いやりの精神が根底にあるから。英語学校でもホスピタリティを発揮してくれるので、とても気持ちよく授業を受けられました。

【田原】ちょっとわからない。英語の先生に求められるホスピタリティって具体的にどんなものですか。

【藤岡】私はフィリピン人が世界で一番英語を教えるのがうまいと思っています。なぜなら、フィリピン人はネイティブじゃないから。セブ島はビサヤ語が母語ですが、彼らは小学生のころから英語を学んで身につけます。英語の勉強がどれだけ大変なものかよく身をもって経験しているから、生徒にも思いやりを持って接することができるんです。たとえば会話をして日本人生徒がわからないところがあったとします。先生がイギリスのネイティブだと、日本人は3回聞いてわからないと遠慮して「わかった」と言いたくなります。でも、フィリピン人の先生はニコニコして同じことを100回でも教えてくれる。生徒からすると、こんなにありがたいことはないです。