驚いたのは、それだけ「直言」をしたのに、数カ月後に社長秘書へ異動した。意外だったし、社長秘書には「お世話係」のイメージしかなかったから、社長に「私には無理です」と言った。すると、「きみに、そんな役は期待していない。若い立場での考えを聞かせてくれ」と返ってきた。

トップに「お言葉ですが」と苦言を呈し、左遷になった人は世に多い。トップに立つ人でも、心が狭いことがある。秘書として仕えた社長は、トップダウン型の厳しい人なのに、なぜ「直言」に怒らなかったのか。中学校で担任だった先生は、温かい人で、大事に育ててくれた。何かそういうところを、両親からもらっているのかもしれないが、それだけではないはずだ。振り返れば、自分のためにではなく、ただ会社のことを真剣に考えた末の「直言」だったから、容認してくれたのだろう。

「直言而無諱」(直言して諱むこと無し)──率直に言ってはばからないとの意味で、中国の晏子の言行録『晏子春秋』にある言葉だ。自分の信じるところを、相手がどう受け取るかではなく、きちんと言う大切さを説き、その前には「行己而無私」(己に行いて私無し)ともある。会社にとって重要な丸の内再開発の運び方に対し、社長であっても直言する木村流は、この教えと重なる。

1947年2月、埼玉県大宮市(現・さいたま市)で生まれる。父は国鉄(現・JR)で車両の各部分をトントンと叩き、その音で良し悪しを判断した検査員。両親と兄2人の5人家族で、官舎は10畳1間と台所。玄関もトイレも共同で、風呂はない。そんな経験から、家への憧れが滞留し、不動産会社に就職したのかもしれない。

小学校4年のときに同県浦和市へ転居し、県立浦和高校から東大文科II類へ進み、経済学部を卒業。前年に政府が新全国総合開発計画を決定し、社会資本の充実には都市開発も必要だと指摘され、「民間ディベロッパーの出番」と言われていた。面白そうだと思い、就職先に三菱地所を選ぶ。高度成長期に始まった丸の内の第二次開発が、佳境を迎えていた。