既得権益がない外からしか、日本の医療は変えられない

【田原】いまの日本の医療が抱える問題はわかりました。それを解決するのに、なぜマッキンゼーだったのですか。

【豊田】マッキンゼーに転職した理由は3つあります。1つは、病院の外の世界を知りたかったから。私は医学部で育って病院に勤めた経験しかありません。まず外から医療の問題がどのように映るのか確かめたかったのです。2つ目は、日本の医療を変えるなら外からしかないと思ったから。現場の先生は本当に忙しいので、問題意識を持ちつつも動けません。ある程度、ポジションを得た偉い先生は既得権益を持っているし、周囲との関係性に配慮せざるをえないため、ヘタに声を上げられない。そうした現実を見てきたので、変えるなら外からだろうと。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】もう1つの理由は?

【豊田】マッキンゼーに行くと、人との出会いも含めて世界が広がります。OBはさまざまな業界で活躍していて、声をかけていただける機会も多い。誘ってくれた方は、「マッキンゼーで医療を変えられるかどうかわからないが、マッキンゼーにいたことが価値になり、いずれ役立つときがくる」と言ってくださって、私もそう思いました。

【田原】なるほど。採用が決まったのはいつですか。

【豊田】内定が出たのは渡米4カ月後でした。脳外科医のエキスパートになるのか、それとも日本の医療を変えるチャレンジをするのか。どちらも魅力的でしたが、よりワクワクするのは後者だと思って転職を決めました。内定をもらってから1年以内で入社しようと、ミシガンの病院は1年で退職し、日本に戻りました。

【田原】マッキンゼーではどんな仕事をしていたのですか。

【豊田】製薬会社や医療機器メーカー、保険会社、自動車などいろいろな会社のプロジェクトをやりました。当時はKPI(重要業績評価指標)という言葉も知らなければ、P/LやB/Sの考え方も知らなかったので、何もかも新鮮でしたね。さっき「マッキンゼーに行った理由は3つあります」といいましたが、ああいう言い回しもマッキンゼーで初めて覚えました(笑)。

【田原】医療界にKPIはないの?

【豊田】病気は治療してみないとわからない部分があるので、目標を設定して、マイルストーンを区切って達成していくといったやり方は馴染みません。方針を決めた後は悪くいうと行き当たりばったりですが、プランAがダメならプランBというように柔軟に対応していくことのほうが大事です。

メドレーの創業社長は小学校の塾の友人

【田原】マッキンゼーは1年半で辞めて、メドレーに代表取締役医師として加わりますね。経緯を教えてください。

【豊田】創業社長の瀧口浩平に誘われました。瀧口は小学校の塾の友人で、中学も少しだけ一緒でした。

【田原】少しだけ?

【豊田】中学受験で2人とも開成に入ったのですが、瀧口は途中でやめてしまい、地元の公立中に。高校は学芸大附属に入って、在学中に1社目の会社を起こしました。大学には進学していなくて、そのままビジネスの世界に。メドレーは瀧口にとって2社目の起業になります。異色のキャリアですね。

【田原】メドレーというのは、何をやっている会社ですか。

【豊田】医療介護系の求人サイト「ジョブメドレー」(https://job-medley.com/)を運営しています。医療介護系の人材は地方に行くほど足りません。そこで、医療介護系の人材を求める人と医療介護系の仕事を探している人をマッチングしやすくして、人手不足を解消するのが狙いです。求人サイトは求人事業者側からお金を取るビジネスモデルですが、ジョブメドレーはその料金が相場の半額程度。事業者の負担にならずに人を採用できる仕組みをつくろうとしています。

【田原】マッチングは年間何件?

【豊田】人数は非公開ですが、掲載されている案件数は約7万件です。国内だと最大級です。

【田原】その会社に、どうして豊田さんが加わったんですか。

【豊田】瀧口は、亡くなったおじいさんの話をしてくれました。おじいさんは胃がんで手術を受けて胃を摘出したけど、その後食事が食べられなくなってしまった。幸せな余生を送れなかったのではとすごく後悔したと。はたして、手術を選択したのはベストな選択だったのか。あのとき胃がんについての情報が身近にあったら、もっと納得のいく選択ができたかもしれないと。

【田原】それで?

【豊田】瀧口はその経験から、正しい医療情報を患者に届ける事業をやりたいと思う一方で、医療情報は医者でないと判断できないところがあります。それで「一緒にやってくれないか」と誘われたわけです。私も私で、先ほどお話ししたような問題意識があって、これからは患者さんが自分で医療を決めていくことが求められるし、それを可能にするには正しい医療情報を知ることができる場所があることが不可欠だと考えていました。それで一緒にやることにしたのです。