One Panasonicを立ち上げた理由

【田原】濱松さんは、社内でOne Panasonicという有志の団体を立ち上げる。12年にパナソニック、パナソニック電工、三洋電機で3社合併したことはきっかけになったそうですが、どういうことですか?

【濱松】3社合併は、松下電器産業がパナソニックに社名変更したとき以来の衝撃でした。08年に社名変更したときは、松下という名前を捨て、本気でグローバルで勝負するんだという覚悟を感じました。3社合併のときは、もともとルーツが1つだったものが3つに分かれて、やっと帰ってきたなと。3社で重複している事業があったし、創業者が生きていたら、一緒にやろうときっと考えたはずで、合併に踏み切った大坪(文雄社長、当時)のすばらしい判断だったと私は思いました。

【田原】それがどうしてOne Panasonicにつながるのですか。

【濱松】3社合併のとき、大坪が「みんないろいろな思いがあるけれど、思いを1つにして頑張っていこう」といって「One Panasonic」というスローガンを掲げたんです。私はこの言葉に共感しまして。たしかにそれぞれ独自の文化があって、水と油の部分もある。でもこれからは一つにならないといけないし、特に私たち若手は過去に関係なく同世代でまとまれる。そう思って、有志の団体を立ち上げました。

【田原】集まったのは何人ぐらい?

【濱松】もともと入社以来、勉強会を続けていて、メンバーが約400人いました。そのうち約150人と電工と三洋の若手約50人が賛同して参加してくれました。発足イベントでは、大坪にサプライズでスピーチしてもらいました。やはり経営トップと入社数年の若手の思いを一つにすることが大事。小さなベンチャーなら社長の号令一つで動くことができるかもしれませんが、当時、パナソニックは従業員がグローバルで35万人もいて、現場は社長と話す機会がなかったですから。

【田原】大企業だと社長は雲の上の人だ。

【濱松】当時の私の感覚でいうと、社長はスクリーン越しの人。パナソニックでもそう思う人もいると思います。年に1~2回、事業方針発表がありますが、スクリーン越しに社長が発表して、質疑応答もなし。そうすると、どうしても思いが伝わりにくい。もちろん、経営幹部も事業部訪問や若手との少人数の対話などはしています。会社は何もやっていないと愚痴を言うのではなくて、機会がないのであれば自分たちがつくればいいと思ったんです。だから発足イベントで、近い距離で話してもらうことには大きな意味がありました。スピーチの後、大坪はみんなと握手をして、肩を組んで写真を撮ってくれた。参加者にも思いは伝わったと思います。

会社に不満があるわけじゃない。孤独なんです

【田原】集まった200人は会社にどんな不満を持っていましたか。やっぱり不満だから集まるわけでしょ?

【濱松】不満があるというか、孤独なんです。大企業の中で、ちょっと変わったことをしようとすると異端視されます。1人だとそういう空気に負けて染まってしまうか辞めてしまう。辞めるのは自由ですが染まるのはやはりもったいない。ガス抜きの場ではなく、新しくて面白いことをやりたい、世の中の課題を解決したいという高い志を持った仲間がいれば支え合える。そういうつながりを求めて集まってきた人が多いと思います。

田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】僕は、大企業の役員がいまの仕事ばかりやっていることが問題だと思う。本当は未来に向けた取り組みをしなきゃいけないのに、そこがアメリカの企業と比べて弱い。

【濱松】あくまで一般論ですが、日本の大企業は社長の任期が5~6年。GEのように1人の社長が15年もやるわけではないので、未来志向になりづらいのかなという気はします。だからこそ私たち若手は経営陣に声を届けることと、東京オリンピック・パラリンピック後の日本の姿を考えて、行動していかなければいけないでしょうね。トップの役割は最重要ですが、人事ではなく自分事化をしないといけないと思っています。

【田原】Googleは、いまの仕事は80%で、20%は自分の好きなことをやれというルールがありますね。その20%から新しいものが生まれている。パナソニックはやらないのですか。

【濱松】実はパナソニックでも、従業員全員ではないのですが、先端研究本部と言われる部門のエンジニアには、いわゆる10%ルールがあります。ただ、個人的には、営業や企画、管理部門でもやってもいいと思いますが。

【田原】One Panasonicは、その10%の部分を自主的にやっているようなものだと思いますが、具体的にはどんな活動をしていますか。

【濱松】3カ月に1回集まって、全体の交流会をやります。昼1時から夜9時まで議論をします。テーマは2つあって、1つは思いを語り合う場。つまり志やパッションの部分ですね。もう1つは、働き方やイノベーションの勉強。知識やスキルセットですね。

One Panasonicが新規事業創出プログラムにつながった

【田原】空気を変えるには、集まるだけじゃなくて行動が必要です。そのあたりはどうでしょう。

【濱松】みんなの声を集めて経営陣に提言をしました。具体的には、新規事業創出プログラムをつくってほしいと提言しました。結局、このときはボツになったのですが、1年後、別の人が提案したときに、私たちの声と構想を何度も語り、それが形となりました。彼に後日聞くと、「One Panasonicがなければ、できていなかったと思う」という一言がありました。それから、思っていることを発信するだけでなく、各自で一歩踏み出してみようと言っています。たとえば自分から手を挙げて異動するのも、その1つ。ベンチャーではあたりまえかもしれませんが、大企業でローテーション人事が普通で、自ら手を挙げると驚かれます。新規ビジネスの創出もそう。いまはOne Panasonicを通じて役員や新規事業本部長にパイプができました。「何か提案したい若手はいるか」と声がかかれば、アイデアを持った若手を紹介しています。

【田原】なるほど。まだ商品化には至ってないわけね。

【濱松】商品化に向けて動いているメンバーたちもいますが、正直、One Panasonicのメンバーだけで商品を出すことにはこだわっていなくて、商品化は会社、本業の中でしてもらえばいいと考えています。私たちとしては、人材や価値観、思いやつながりといったソーシャルキャピタル(社会資本)を大切にしたい。2018年にパナソニックは創業100周年を迎えます。会社が100周年プロジェクトのために若手のタスクフォースをつくったのですが、そのメンバーの半分以上は実はOne Panasonic幹事や参加者でした。メディアの方からは、成果としてソーシャルキャピタルを強調されてもわかりづらいとよく言われるのですが、空気を換えて土壌をつくっていくために必要なことだと思っています。

【田原】ところで、One Panasonicの事務局はあるんですか。

【濱松】事務局はあります。ただ、専任のスタッフはいません。みんな二足のわらじでやっています。

【田原】専任の人がいなくて、活動できますか? みんな本業が忙しいでしょう。

【濱松】忙しいですけど、そこは思いでカバーしてます。専任スタッフを置くと、会社へのレポーティングが必要になったり、それこそ見える形での成果を出せずに取り潰しということにもなりかねません。会社と連携はしつつも、お金の面で迷惑をかけずに有志という形でやっていくのがいいかと。