学力重視・訓練型教育が声高に叫ばれる現代日本の教育界。明治の偉大な教育者、福沢諭吉の考えを基にいま日本が進みつつある教育のあり方に筆者は強い疑問を呈する。

なぜ福沢諭吉は革命的なのか

「多くの知識、速い計算」が現代における基礎<学力>である。それが足りないというわけで、いっそうの訓練型教育が必要と考えられている。これが教育の現状だ。その半面で、若者たちに、「学ぶ意欲」の低さや、社会において大事な素養である「相手のことを思いやる」力、あるいは同じことだが「状況を読み、状況に自分らしく対応する」力の喪失していることが気になる。教育への絶望もあるのかもしれない。これが、前々回の議論の趣旨だ。

今回はそうした底流に対抗する力はありうるのか、時代を変えて考えてみたい。

江戸時代も教育は盛んだった。当時世界でトップの識字率だったともいう。子供は、藩校や寺子屋で論語を諳んじ書を写し歌学を学んだ。だが、その時代には新しい文明の息吹は起こらなかった。その間、一歩も二歩も西欧に後れをとった。

明治の初期、「勤勉で、しかも高い学力をもちながら、日本は文明の面で後れをとったのはなぜか」という疑問を抱き、「文明に導く精神と、それを育てる教育があるのではないか」という洞察をもったのは福沢諭吉であった。諭吉は、『学問のすゝめ』や『文明論之概略』を世に問い、「実学」の概念を提唱した。それまでの日本にはなかった「新しい知」を提起した。彼の提唱する実学は、現代においても生きる。今回は、その故事をたずねながら、諭吉が迫ろうとした新しい知、<実学>の本質を探ろう。

福沢諭吉の「実学」の概念
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福沢諭吉の「実学」の概念

諭吉は、『学問のすゝめ』において<実学>を主張する。彼は、いわば空疎にして迂遠な漢学や有閑的な歌学に対して、「人間普通日用に近き」実学を対置した。学は、「自ら労して自ら食らう」生活の真っ只中に置くべしと主張した。

この主張を、たんに「実用的な学問が大事」と理解すると、諭吉の学問論の革命的性格を見逃す。そのことを指摘するのは、丸山眞男であり(『福沢諭吉の哲学』岩波文庫、2001年)、間宮陽介(『丸山眞男―日本近代における公と私』ちくま学芸文庫、07年)である。両氏は、諭吉の<知の日用性>についての革命的性格を深く理解する。

諭吉の革命性は次の2点に要約できる。第一に、知識は、「自ら労して自ら食らう」ことのない有閑階級や支配階級のものではなく、われわれ生活者のものであり、かつわれわれ自身がつくり出すべきものだという主張がそうだ。この主張は、今では違和感はないが、その当時「商売に学問は不要」というのが通り相場であったことに思いを致せば、その主張の革命的性格がわかる。

第二により重要なのは、<実学>という名の下に物理学の効能を高く評価し、とりわけその学を生み出した<精神>に着目したことだ。物理学の効能はわかりやすい。海に浮かぶ巨大な黒船や陸を走る蒸気機関車を見れば、それらを産み出した学の重要さはすぐわかる。だが、諭吉は、物理学の大事さと共に、わが国の近代化を果たすためには、なにより物理学を育んだ<文明の精神>こそ、われわれの手の内に入れる大事だと考えた。それはある意味、「文明の外形」たる物質文明の採用に汲々としていた当時の風潮に対する警告だった、と丸山眞男は指摘する。