現実の変化と変わらないイメージの狭間で苦しむ男性

【常見】田中先生にお聞きしたいのですが、これまでの“40代像”と現実の40代は大きく乖離していると思います。「40代の男は家庭を支えなければいけない」という旧来の規範が僕たちを苦しめていると思うのですが、40代の男性の生きづらさはどこから来ているのでしょう?

【田中】明白なのは、従来、主に男性が雇われてきた建築や建設の業界が弱っているということです。あとは、ここ10年ぐらいで30代、40代の男性の給料が圧倒的に下がっている。それにもかかわらず「一家の大黒柱は男性」というイメージが残っています。このギャップが相当辛いでしょう。つまり、現実は変化しているのにイメージが変わらないというところに僕たちの辛さがあるんです。本当は現実に合わせていろいろなことを変えていかなければいけないのに、イメージのほうが強い。

武蔵大学社会学部助教 田中俊之氏

【常見】“昭和の男性像”に支配されている?

【田中】それはかなりあります。サラリーマンと専業主婦の家庭で育った方がマジョリティなら、自分ができないことを「情けない」と思いがちです。

【河崎】40代前後の人たちを苦しめているものの中には、会社に入社して先輩から脈々と受け継がれる妙な精神もありますよね。ホモソーシャルの中でイチャイチャしている感じ。特に経団連企業は、男同士のあうんの呼吸で仕事をしていて、女性はそこに「入れてもらっている」状態です。だから、「女性は下駄を履かせてもらっている」という言い方が蔓延しています。経団連型経営をしている企業の思考停止している部分でしょう。

【常見】なぜ女性が活躍しなければいけないのかという本音のロジックが大事だと思います。「かわいそうだから女性を活躍させないと駄目だ」という論理では失敗するでしょう。女性に活躍してもらう一方、生んで育ててもらわなければいけないという論理でも破綻する。

【河崎】先日、「サイボウズ式」でダボス会議分科会の記事(参考記事:「長時間労働の原因は、日本独特の「助け合いの職場文化にあるのか?――ダボス会議「ヤング・グローバル・リーダーズ」との議論から」)を書きましたが、その中でほぼ日の篠田真貴子さんが指摘していたのが、「“一億総活躍”という文脈では女性の活躍が女性の労働力を吸引するためのものでしかない」ということです。労働力の確保とか数字という部分にしかフォーカスされていない。もっと普通に女性の自己実現のためでいいじゃないですか。私たち、自己実現のために働きませんか? 学生時代にゴリゴリ勉強してきたのに、ゴールが専業主婦というのは、本当にバランスが取れているのか? なんのために研ぎ澄ましてきたんだろう? という思いがあります。「労働参加」ということより、女性はもっと自分は何をしたいのか、何を望んできたのか、何を思い描いてきたのかの延長で働くことが大事だと若い人たちに忘れてほしくないと思います。