米国公認会計士取得で、スーパー派遣社員になるつもりだった

――留学をしたいと思ったきっかけは何ですか。

【端羽】生まれ育ったのが田舎だったので、外国の方がすごい少なくて、英語コンプレックスがあったんです。小学生のときに初めて外国の方に話しかけられて、笑って走って逃げる……みたいなことがあって。いまだにそれを覚えていて、その方に申し訳ないし、言葉が話せないのは恥ずかしい、みたいに思っていて。英語は頑張りたいなと考えているうちにだんだん面白いと思い始めたんです。だから、留学したいっていうのは、足りないものを埋めたいという感覚でした。

――そこで何をしたいというよりは、純粋に英語を話せるようになりたいと思っていたんですか?

【端羽】私は、昔からやりたいことをその都度やっていく感じだったので「留学した先でどういう風になりたい」というよりは、単純に「英語を話せるようになるために留学したいし、海外にも住んでみたい。それをすることはプラスなはず」くらいに思っていました。選択をするときに普通は迷うじゃないですか。でも私は、「なにか選択をするために、決断したということがプラスになるよな」と考えています。

――なるほど。将来の高い目標みたいなのがあって、そこから逆算的に考える……というのではないんですね。

【端羽】全然。そのとき面白いことを積み重ねていったらこうなったというか。

――起業家はやっぱりそういうタイプのほうが向いてるんでしょうか?

【端羽】人によって全然違っていて、以前ある女性の起業家の方とお話した時に、「40歳のときのプランから逆算してこういうことをやっていった」とおっしゃっていて、私、すごく反省しましたね。

――というのは?

【端羽】私の場合は本当に単純で、ただ留学がしたかったし、外国に住んでみたかった。自己実現に近いですよね。なりたい自分が英語を話せる自分だった、みたいな。それでゴールドマンに行って、お金を稼いで辞めるつもりが、1年で子どもができて。そのとき、ゴールドマンに残る選択肢もあったんですよね。でも、みんなが夜中の3時まで働いているような会社では、夜10時に帰っても「ごめんなさい」って言わなきゃいけないのが申し訳なくて。私は、ちゃんと自分が求められるものを果たせる環境で働きたいなと思ってて、それはゴールドマンじゃ難しいかもと考えたんです。

それから、何か自分の強みが欲しいと思って、アメリカの公認会計士資格を取ったんですが、そのときも「次にどういう仕事をしよう」とか考えていたわけじゃなくて、「英語と会計があったらスーパー派遣社員になれる」と思ってたんですよね。子どもがいると絶対働く時間に制限があるけれど、英語と会計ができたらどこでも食べていける自分になれるんじゃないのかな、と思ったんです。

「ビザスク」ウェブサイト

仕事で求められるって幸せなんだ、という感覚を初めて味わった

――子供を産んでから、仕事に復帰しようと思ったきっかけは?

【端羽】試験を受け終えた頃、ちょうど旦那と大げんかをして、そのタイミングで自分のことを見つめ直していたらやっぱりフルタイムで働きたいなと思ったんです。そこで転職エージェントさんと話し始めているうちに、紹介されたロレアルでの仕事が面白そうで、働き始めました。当時、仕事が本当に楽しかったんです。なぜかというと、ヘレナルビンスタインというブランドの予実管理を1人でする仕事で、私の仕事が明確にあって、その役割を誰も外せないという状況だったから。「仕事で求められるって幸せなんだ」という感覚を初めて味わえたんです。

――存在意義みたいな。

【端羽】そうですね。ただ一方で、予実管理したりする経営管理はお金を稼ぐ部署じゃないので、やっぱりお金を稼ぐ方が自分は好きだなと思ってたんですよね。その後、旦那が留学することになったので、自分もついていくことに決めました。

――面白そうだなと思ってやってみて、これじゃなくてもっと他がいいというのは、事前にはわからない、体験しないとわからないことだったんですか。

【端羽】ロレアルの転職に関しては情報が足りていなくて、やってみたらわかった感じですね。振り返ってみると若かったのかなと思います。投資銀行のときもそうだし、ロレアルのときもですが、実際に働いてみないとどうかわからないことって多いなとはやっぱり思うんですよ。