各事業部の中枢が集まる東京に着任すると、所属する事業部以外にも目を向け、新しい可能性を持つ分野を探した。高砂で、空から鳥が地上を見渡すように工場や研究所を見渡して、新技術の芽を探していた身が、全社を見渡す位置に上がっていく。

ほどなく、液状樹脂と機能性樹脂の事業部を統合した。前者にはエポキシ樹脂分野のほか、建築物の継ぎ目や隙間を埋めるシーリング材にもいい技術があるのを、みつけた。日本では住宅でもビルでも、工場でつくったコンクリートパネルを運んできて、建築現場で貼り合わせるが、どうしても隙間ができるので、シーリング材が要る。同様の市場が、建設ブームを迎えた中国にできる、とみた。

予想通り、中国でも建材の規格化が進み、工場でつくったパネルを、建築現場で貼り合わせる例が増えていく。ただ、ほとんどの人が、コンクリートにはこのシーリング材、ガラスにはこのシーリング材がいいという適材適所の使い方は、知らない。一方、液状樹脂事業部の面々は国内派ぞろいで、海外を敬遠した。だが、機能性樹脂事業部では、以前から、中国で包装用プラスチックに強化剤を供給していた。当然、中国語が話せる人間がいるし、土地勘もある。2つの事業部が合体すると、市場の開拓が、一気に進んだ。

もちろん、技術の優位性だけで市場は拡大しない。やはり「営業では商売以前に、信頼関係が大事だ」との信念は、ここでも同じ。中国に足を運び、相手のトップに出てきてもらうためには、こちらのトップにもいってもらわなければ、信頼関係は深まらない。東京へ赴任した2年後に社長になっていた菅原さんも、頼むと、よくいってくれた。そういう仕掛けも、営業には必要だ。

事業部統合の相乗効果や「鳥の目」でみつけた新機軸は、手応えが十分。48歳で事業部長になってからも、時代の変化とニーズを把握し、何をすべきか、何ができるかを、考え抜く。次々に製品や事業が登場し、育っていくものもあれば、花が開かなかったものも出る。それは、気にしない。