優れた技術だけで市場は拡大しない

2006年5月、初めての東京勤務となった。46歳。大阪市で生まれ、大学は博士号の取得まで京都で過ごし、入社して配属されたのは兵庫県・高砂の合成樹脂研究所。以来、ベルギー勤務をはさんで、ずっと高砂の機能性樹脂部門で、樹脂の強化剤や改質剤などの開発、量産化に携わってきた。

カネカ社長 角倉 護

だが、ある日、突然、上司だった菅原公一・現会長に言われる。「きみは、もう高砂での仕事はいい。東京へいって、事業部の戦略スタッフを経験しなさい」。研究技術グループリーダーの肩書は残したまま、機能性樹脂の戦略立案を担う「技術統括担当」(東京駐在)となる内示だった。

菅原さんは、建材や自動車向けアクリル樹脂の強化剤で米国企業に売り込みに回ったとき、テキサス州の子会社の社長をしていて、第一の連携相手だった。エポキシ樹脂の改質剤に参入したときにも、航空機の炭素繊維の複合材の接着剤向けに、一緒に売って歩いた。強い縁があり、しかも新たな事業戦略を考えてほしいと言われたら、即座に「わかりました」という以外にない。

会社は、2年前に社名を「カネカ」に変えていた。いまでは、その3文字を使った「カガクで、ネガイを、カナエル会社」というCMがよく知られているが、当時は「21世紀のエクセレントカンパニーになる」とのうたい文句で、社員から募集して付けた名だ。その過程には参加していないが、「いまがどういう時代で、何をすればエクセレントカンパニーとなるのか?」と新しい企業像を追求する気持ちは、人一倍、強かった。