今でこそ時代小説の中に政治・経済が描かれるのは当たり前だが、戦後、これが顕著なのが杉本苑子の『狐愁の岸』である。外様諸藩の勢力を削ぐため、江戸幕府から治水工事を命じられた薩摩藩が工事費用の調達から竣工に至るまで、どれだけの血を流しながらやり遂げたかが描かれる。事故、病気、責任を取って切腹する侍たち。まさに死屍累々だ。

同じ女性作家、永井路子は、『炎環』で、鎌倉時代を戦国、幕末に次ぐ第三の激動期として位置づけた。永井は、当時を理解するため、歴史書『吾妻鏡』を読み込んだところ、矛盾点が山ほど出てきたという。権力側である北条氏の視点で描かれているからなのだ。そうやって得られた歴史観は専門家にも受け入れられるほどの本格的なものだ。

津本陽といえば、『下天は夢か』が有名だが、ここでは同じ信長を扱った『本能寺の変』を挙げたい。前者が書かれたのはバブル期で、祝祭空間で颯爽と活躍する信長の姿が描かれているが、本書では祭りのあとの寂しさを描き出している。

時代小説の舞台は日本だけではない。海外ものもいくつか入れておいた。日本では信長や秀吉、家康といった天下人がヒーローになる場合が多いが、中国では違う。外敵の侵略を退けた人物の人気が高い。その代表格が田中芳樹が『岳飛伝』で描く主人公、岳飛だ。同じく海外ものとして、インドで実在した暗殺団を扱った東郷隆の『蛇の王』を推薦したい。イギリスの植民地政策で暴政が敷かれたインド。それに対抗して外部から来る人間を次々に消す暗殺団を描き、どちらが正か邪か、相対化した史観を打ち出している。塩野七生『ローマ人の物語』も歴史解釈、ひいては人間解釈の興味尽きない作品として読める。今後も海外を舞台にした時代小説は増えるだろう。