メモ欄の自由度は思考の自由度と同義

<strong>スクウェア・エニックス 和田洋一社長</strong>●1959年、愛知県生まれ。84年東京大学法学部卒、野村証券入社。主計部など6つの部署を経験。2000年スクウェア取締役に。01年社長就任。03年エニックスと合併。08年持ち株会社発足によりスクウェア・エニックスHD社長。06年より業界団体のコンピュータエンターテインメント協会会長。
スクウェア・エニックス 和田洋一社長●1959年、愛知県生まれ。84年東京大学法学部卒、野村証券入社。主計部など6つの部署を経験。2000年スクウェア取締役に。01年社長就任。03年エニックスと合併。08年持ち株会社発足によりスクウェア・エニックスHD社長。06年より業界団体のコンピュータエンターテインメント協会会長。

社長になってからは、秘書が毎朝PCから打ち出してくれるA4のスケジュール表1枚だけを持ち歩いている。

もちろん、手帳を持っていた時期はあった。生まれて初めて手にした手帳は、中学生のときに貰った学生用の手帳だ。左側に1週間分のカレンダーがあり、右側がメモ欄になっているありふれたものである。社会人になるまで、このタイプの手帳をずっと使い続けていた。

しかし、野村証券に入社してから、どうもこのタイプの手帳では物足りなくなってきた。右側のメモ欄のボリュームが、書き留めたい内容に比べて、少なすぎたり多すぎたりして、自由度が低い。

そこで、入社数年目にカレンダーとメモ帳を分離した。カレンダーは、見開きで1カ月分のペラペラのもの。メモ帳は、無地のいわゆる“落書き帳”。一時期、このコンビを携えて仕事をしていた。

ところが、カレンダーはともかくとして、落書き帳に不満が募ってきた。私は生来、なるべくものを持ち歩きたくない人間で、書き留めたアイデアも、必要がなくなったら捨ててしまいたい。だが、綴じてある落書き帳を破ると、破った跡が見苦しい。

私は落書き帳をやめて、ペラペラのカレンダーとA4の白い紙一枚だけを持ち歩くようになった。ついには、A4の紙すら持たなくなった。なぜなら、オフィスには必ずコピー機があるので、A4の紙を携行しなくても、必要ならばトレーから取ってくればいいと気づいたからだ。

そして現在では、冒頭述べたように、A4のスケジュール表一枚だけを持ち歩いている。備忘にもこの紙が一枚あれば充分だし、思いついたアイデアは裏に書けばいい。私の手帳遍歴の最終形が、このスケジュール表一枚というわけである。

さて、自分の手帳が最終的に現在の形を取ることになった理由を考えてみると、それはメモにある。私がメモ用紙に求める機能を突き詰めた結果、この形にたどり着いたといっていい。

まず、アイデアを考えるためのメモ用紙は、罫線が入っていないほうがいい。なぜなら、罫線があると、アイデアが罫線に束縛される気がするからである。

たとえば、ある課題を解決するアイデアを生み出さねばならない場面を想定してみよう。重要性の高い論点が一つ。重要性の低い論点が3つ。これを罫線の入ったメモ用紙に一行ずつ書き入れると、重要性の低い論点が3行の幅を取ることになる。結果、重要性の高い論点よりも視覚的に“重く”見えてしまう。本来なら、最も重要な論点こそ大きく書くべきだが、罫線の束縛を受けて、軽重が逆転してしまうのである。

アイデアを書き留める際、あるいは自分のアイデアを他者に伝える際には、なるべく絵や図表で表現したほうがいいと私は考えている。視覚は言語感覚に比べるとはるかに生理的なものだから、ウソや曖昧さの紛れ込む余地が少ない。逆にいえば、言葉で表現すると、論点が曖昧になりがちなのである。

とりわけ冗長な言葉は、論点を不明瞭にしてしまう。たとえば伝言ゲームを考えるとわかりやすい。ここに一つの名刺入れがある。これを、「革製で、黒くて、重さが約20グラムで……」といくら言葉を尽くして表現しても、イメージは正確には伝わらない。伝言ゲームの何人目かになれば、まったく違うイメージが伝達されることになるだろう。

アイデアを考えるのも、それを伝達するのも、極力、絵で描くべきであり、やむをえず言葉を使う場合は、なるべく簡潔なほうがいい。「黒」という一言なら、末端まで正確に伝わるだろう。

翻っていえば、私がA4一枚にたどり着いた理由は、社長としての意思を社員に正確に伝達するためでもある。自分のアイデアや意思は、純粋な結晶体にまで純化しなければ、組織の末端まで正確に浸透させることはできない。そのためには、罫線の入っていない白い紙に絵を描くのがベスト、と考えている。

もう一点、メモ用紙で重要なのは、日付とバインドされていないことである。先ほど、カレンダーとメモ帳を分離したと述べたが、それには、メモ帳と日付を分離するという意味合いもあったのだ。