「世界女傑名簿」があったら、来年は誰が頂点にいるかという問いから本書は始まる。長年米国政治や外交・安保を追いかけてきた著者の知見を活かしつつ、ヒラリーが大統領になればどのような政策が展開され、どのような米国が訪れるのかを検討した本だ。

本書に賛成する点は多い。政治の戦いを恐れない戦略的な女性という人物像の一方で、家庭人としての顔とリーダーとしての顔をどのように融合するかが最大の挑戦であった、という分析も頷ける。他方、古き良き主婦像、バーバラ・ブッシュをヒラリーが部分的にせよ目指したとの分析には疑問が残る。それでも彼女が単に「男になる」のではなく、女性性を残したリーダー像を模索していたのは確かだろう。

子供を産むことや夫のキャリアを優先することが、フェミニストにとっては敗北を意味した時代もあった。それを考えれば、ヒラリーの生き方は「右」からはもちろんのこと、「左」からさえバッシングを受けうるものだった。

ヒラリーに対する女性の態度は、多くの世論調査からも明らかなように、世代によって二分されている。中高年の女性の多くは、ヒラリーについて語るとき、あふれるような情熱と共感をもって支持を説く。彼女らを見ていると、ほとんどの場合、ヒラリーの過失や政治性に対する「許し」があらかじめ存在している。自分が歩んできた時代における女性の権利の進展と、ヒラリーの個人的な成功の過程とを重ね合わせ、実感することができる世代だからだ。

そこには男性が使ってきた「武器」を、自分たち女性も使えるべきだとの思いがある。集金力の問題や少々の欺瞞と誤誘導、違約などは重大な過失ではなく、政治家の誰もがやっていることで、ヒラリーだけが攻撃されるのは女性に対する二重基準だというのだ。

一方、若い世代の女性たちは、自らの地位向上とヒラリーの成功への階段を重ね合わせることができず、ヒラリーに対しても男性政治家と同様の公平な視線を向けている。

ヒラリーの最大の問題は、女性初の「大統領」であり賢い温かい人間だという核心を除けば、非常に現状維持的な傾向があることだ。本書で説明されているヒラリーのアジア重点化戦略は、8年前には新しかったが、もはや骨抜きだ。同盟の強化や南シナ海での緊張に当たっての外交の駆使は、米国が必要としている政策だろう。しかし、それさえも長期的に米国民の心を勝ちえる戦略とはいえない。

ヒラリーの時代は「ガラスの天井を破れるか」が議論される時代だった。しかし間もなく、トップを「女性だから」ではなく、左派であれ右派であれ、政策に基づき複数の女性候補から選択できる時代がやってくる。このたびの選挙戦を見ていて、強く実感したのはそのことだった。