道を受け継ぐことに葛藤がなかった理由

三宅義和・イーオン社長

【三宅】非常に深遠な人間の死生観につながる考え方ですね。氣の大切さ、重要さが感じられます。

【藤平】「氣」は溜めて消費するものはなく、交流することでその力を得ます。本来、氣は常に交流しているのが当たり前の状態であり、不自然な心の使い方、身体の使い方をすることで滞ってしまいます。心身統一合氣道の技は「氣が交流する」ことが土台であり、だからこそ相手の状態を理解し、導き投げることができるのです。

技の稽古でそれを会得したら、今度は日常生活に活用することができます。人間関係においても「氣が交流する」ことが基本なのです。

【三宅】無理矢理投げようとすると、なかなか投げられない。心を静めて、相手と一体となってこそ投げることができる。会社で社員に気持ちよく働いてもらうにはそうでなければなりません。まさに、仕事にも役立つ教えだと、いつも思っています。ただ、それを私が実際に実践できているかどうかは別にしまして(笑)。

【藤平】いえいえ、とんでもないです。

【三宅】ところで、合氣道の「氣」という字は、メではなく、米が使われています。これにはやはり、何か理由があるのでしょうか。

【藤平】漢字の成り立ちには諸説ありますが、「米」の字は「八方に広がる」という意味で用いています。「メ」の字は〆(しめ)るとも読めます。氣はしめたり滞ったりするものではなく、四方八方に交流するものですから、「氣」の字を使っています。

【三宅】先生は若くして道を継承されました。先代は、巨人軍の黄金時代を築いた広岡達朗さんや王貞治さん、長嶋茂雄さんなど超一流のプロ野球選手も教えていたと伺っています。それほど偉大な父親から後を任されるというのは、どのような気持ちでしたか。責任とともに葛藤のようなものはあったのでしょうか。

【藤平】藤平光一の内弟子になってからは師弟関係ですので「父」と呼ぶことはありませんでしたが、私は父が53歳のときの子です。生きている時代が半世紀も違います。当然、父の若い頃がどうであったかは知る由もありません。ただ、私が物心ついた時分には、道場で弟子に教えることは自らが日常生活で実践していました。

いまでもよく覚えていますが、私がいたずらをした際にも、頭ごなしに「ダメだ!」と言うのではなく、とても穏やかな表情で、なぜやったのか、どんな思いでやったのか、よく確認した上で、やさしく「それはいけないことだよ」と丁寧に諭してくれました。ですから、心に染み入るわけです。

そんな環境の中で育ちましたから、父に対して抵抗はなかったのですが、そこはかとない不安はありました。武道の世界は実力社会で完全な縦社会ですから、本当に私が継承者として責務を果たせるかどうかはわかりませんでした。「何を継承するか」を正しく理解してからは、葛藤は払拭されました。

心身統一合氣道を学ぶ生徒さんにも、事業を継承する二代目・三代目の方がいらして、その悩みをお聞きすることもあります。そこでわかったのは、継承がうまくいかない最大の原因は、そもそも「何を継承するか」がわかっていないからです。事業継承であれば、ただ会社組織を継承するのではなく、先代の「志」であるとか「理念」を受け継いでいくことです。