・ダラダラ長く主語と述語がバラバラ

大学の法学部時代、半ページくらい文章が切れ目がなく続く判決文を悪文の典型として教えられた。負けず劣らぬ悪文は社内文書にも見られる。ダラダラと長く、最初の書き出しと最後の締めがつながらない。主語と述語の不一致もしばしば。何を伝えたいのか、本人もわかっていないのではないか。

・カタカナ用語や四文字熟語の多用

カタカナ用語がやたら使われる。例えば、「ユビキタス社会に向けた対応が急務」などと書かれると、それらしく見える。じつは、ユビキタスとは何なのか、書き手も含めて誰もよくわかっていない。しかし、「わかっていないのは自分だけか」と思って誰も聞かない。そのまま文書は決裁され、具体的に何もアクションが起きない。

四文字熟語も多用される。例えば、「意識改革」という言葉。「社内を清潔に維持するため意識改革に取り組む」と書くより、「みんなで掃除をして帰ること」と書けばすむ話で、そのほうがはるかに伝わる。「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」(鶏をさばくのに牛をさばく大きな包丁がどうして必要なのか)を思わせる文章が多い。結果、鶏もさばけずに終わる。

・余計な前置きや修辞句がやたら多い

儀礼の挨拶では、「僭越ながら」とか、「すでにご存じの通り」といった枕詞的な表現が使われるのはいい。しかし、社内文書に「あえて指摘するまでもなく」とか、「本件についてはマスコミ等で報道され周知の通り」といった、いわずもがなの前置きや無駄な修辞がやたら出てくる。書きたいことの中核がないため、飾り立てるのか。

・「言」と「文」が一致しない

企業の場合、決裁書類は部下がつくり、上司の部長が会議で発表するパターンが多い。部長が部下のワープロ打ちっ放し文書を持ってくるとどうなるか。書類に書いてあることと違うことを話し始める。ならばなぜ、今話していることを文章にしてこないのか。

・「てにをは」の修正を会議で行う

最悪なのは「てにをは」のチェックもされていない文書だ。決裁書類は記録として残る。助詞が一つ違っても意味合いが変わるため、看過できない。内容以前に「てにをは」の直しを会議で行うのはあまりにも時間の浪費だ。

このような書き手の意思もエネルギーも希薄な文書が生まれるのは、本来は手段のはずのワープロを使って、“文章の形”をつくることが目的化してしまったためではないか。

(勝見 明=構成 芳地博之=撮影)