ただ、ワープロは打つのが楽なだけに、やたら言葉が多くなりがちだ。多くなると伝わる情報も多くなるかというと逆で、言葉が軽くなって乱れ、伝わるものが少なくなってしまうのだ。

これはマイクロホンの発達と政治家の語る言葉の関係に似ている。その昔、マイクを使える場が限られ、性能もよくなかった時代、政治家は一つ一つの言葉を選び抜き、渾身の力を込めて聞き手の心に語りかけた。

今の時代、テレビ局のスタジオで高性能マイクをつけた政治家が語る話は言葉数は多いが、軽くて何の感動もなく、意味がまとまっていないものも多い。さほど歌がうまくなくてもマイクを通すとそれなりに聞こえてしまうカラオケを思い起こしてしまうほどだ。

言葉の乱れは社会の乱れをもたらす。今の日本の政治がしばしば低次元の問題で紛糾するのは、政治家の語る言葉の軽さと無縁ではないだろう。同じことは企業における社内文書についてもいえるのではないか。

では、読み手を動かすことのできるビジネス文書を書き上げるには、どうすればいいのか。手書きとワープロのそれぞれの効用をマッチングさせる方法として、ある作家が提唱していた文章の書き方がある。

まず文章をワープロで打ち、プリントアウトする。これはあくまでも一次原稿だ。これを修正する。このとき重要なのは、文章を俯瞰し、手書きで修正を加えることだ。この修正をワープロに打ち込み、完成稿を作成する。

何ら修正を行わず、ワープロで打ったままの社内文書は読めばすぐわかる。そんな“ワープロ打ちっ放し文書”の問題点をあげてみよう。