「利益などは考えず、家業として続けるように」

「大人の鉛筆」で新たな市場を開拓。

北星鉛筆の創業者である杉谷安左衛門が残した家訓がある。

「鉛筆は我が身を削って人の為になる立派な仕事。利益などは考えず、家業として続けるように」

杉谷はこの「鉛筆の精神」を守り続け、鉛筆が世の中に必要とされている限り、作り続ける覚悟だ。だが、従来通りに鉛筆を作っていればいいほど甘くはない。杉谷は鉛筆本体や鉛筆産業に付加価値を与え、生き残りをかけて戦ってきた。

2001年には「もくねんさん」という人体に無害な粘土を開発し、ヒットさせた。2004年には絵の具「ウッドペイント」を発売、これもヒットした。共に乾くと木になる不思議な製品だ。現在も定番商品となって売れ続け、北星鉛筆の屋台骨を支えている。なぜ、鉛筆メーカーが粘土を出すのか、その理由は鉛筆の生産工程と時代の変化にある。

戦後、鉛筆は作れば売れる時代で、1966年頃には業界全体で年間14億本を作っていた。だが、その年をピークに以降、減り続け、2015年には2億本弱と7分の1の市場になった(日本鉛筆工業協同組合)。

こうした右肩下がりの中で、同社は1990年代後半から時代を見据えて「循環型鉛筆産業システムの構築」を図ってきた。なぜ、鉛筆作りで循環型を目指すのか。それは、鉛筆を作るには、その生産工程で板材のなんと40%もがおがくずとなって捨てられるからだ。

まだ、銭湯が元気な頃は、その燃料として買い取ってくれたが、銭湯が激減し、北星鉛筆では工場内の焼却炉で燃やすしかなくなった。だが、おがくずは燃えすぎるのが難点で、焼却温度は1000度にもなり、炉の劣化が早い。また、いつの間にか周辺は住宅地になり、煤煙で近隣の苦情が出るようになった。仕方なく、産業廃棄物として処理しなければなくなったが、そのコストも年々高くなった。

「おがくずの再利用が鉛筆産業を守るには不可欠だと考えるようになりました。1人であれこれ考えるうちに、おがくずを圧縮して製品化することを思いつきました。子供の頃、工場でおがくずにのりを混ぜた団子を作って遊んでいたことを思い出したのです。しかし、自社だけで取り組むには負担が重すぎる。そこで、日本鉛筆工業協同組合の青年部の仲間に声をかけ、業界で取り組むことにしたのです」