長い時間一緒にいると「悪い面」ばかり目に付く

▼「白い布と染みの法則」の教訓に学べ

子供とは一定の距離を置いて、見守る。これは、学校の教室で、教師と子供の関係づくりにもいえることです。

例えば、毎日の掃除の場面です。「当たり前」にきちんとやる子供が褒められる回数よりも、さぼっている子供が叱られる回数の方が圧倒的に多いものです。理由は、「悪いものは自然に目立って見える」からです。

真っ白な布についた小さな染みと同じです。逆に良いところは、意識しないと見えません。

ここがポイントです。褒めるのは難しく、叱るほうが簡単なのです。親子関係でも、一緒にいる時間が長いと、どうしても悪いところに目が向きます。

先の掃除の例でも、4月当初は多少さぼっていても「仕方ない」と思って丁寧に教えるものです。それで、日が経つにつれて段々できてくるのですが、それがやがて崩れ出すと、叱りたくなるのです。「掃除をやる」という状態が「白い布」になり、「さぼる」が「染み」になるのです。

▼子育ては、だんだん手放すつもりで

白い布と染みの「ジレンマ」を、実際の教室ではどうするか。子供から、少し離れてみるのです。ぴったりくっついて、懇切丁寧に指導していた手綱を緩めるのです。

具体的には、掃除の時間に、教師が見回って教えるのをやめ、自分も掃除に没頭します。黙々とやっていると、一緒に汗を流してがんばる子供と、目で会話ができます。

そもそも、何のために手取り足取り教えていたかです。教えるのは、放っておくとできなかったからです。できるようになったなら、だんだんと手放していくことが大切です。これは、自治的な子供集団を作る学級経営の原則です。

子育てにも同じことが言えます。「子育て四訓」という、次の有名な言葉があります。
一、乳児はしっかり 肌を離すな
二、幼児は肌を離せ 手を離すな
三、少年は手を離せ 目を離すな
四、青年は目を離せ 心を離すな

子供との時間が、その年齢の経過とともに、量から質へとシフトしていくのは必然と言えそうです。

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