<strong><48歳で開業>小野淳二</strong><br>1951年、東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業後、ウォルト・ディズニー・エンタプライズ入社。退職する際、妻とはとことん議論。妻曰く「言ってることがわからない。賛成はできないが、反対はしない」。当時、小野さんが病を患ったこともあり、何とか妻の理解を得たという。東京パンアカデミーで学び、「ハピーブレッド」を設立、現在に至る。
<48歳で開業>小野淳二
1951年、東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業後、ウォルト・ディズニー・エンタプライズ入社。退職する際、妻とはとことん議論。妻曰く「言ってることがわからない。賛成はできないが、反対はしない」。当時、小野さんが病を患ったこともあり、何とか妻の理解を得たという。東京パンアカデミーで学び、「ハピーブレッド」を設立、現在に至る。

小野淳二さんの仕事を一言で説明するのは難しい。パンのイラストを中心に、パン屋の看板、広告、販促物や内装まで、パンのビジュアルに特化した仕事を幅広く引き受ける。おそらく日本で唯一のパン屋アーティスト、ビジュアルコンサルタントとも呼べる存在だ。

そもそも小野さんは、日本のウォルト・ディズニー社で版権ビジネスに携わっていた。40歳で取締役に就任し、仕事は「もう最高に充実していた」ものの、なぜか「次の20年は、ゼロから別の仕事を始めてみたい」という思いを強く持つようになった。そこで45歳でサラリーマンを卒業。時間をかけて自分が本当にやりたい仕事を探すことにした。

「興味を引いた新聞記事を切り抜き、ノートに貼る作業を半年間続けました。すると本心から好きなもの以外は、途中で面倒になり整理をサボるように。最後に残ったのが物づくりと食べ物関連でした」

とくに目を引いたのが、「国民生活白書」の記事だった。

「過去10年間、全世代で消費量が伸びている食材があるという。小麦粉でした。そこで真っ先に思い浮かんだのがパン。次の仕事はこれだと確信しました」

自宅・仕事場の書棚に並ぶパンの専門書。つくり方だけでなく、歴史や接客法、絵本まで、「パンに関わるすべてを広く学びたい」と集めて読破。目指すのは「パン屋さんを楽しくすること」という。

自宅・仕事場の書棚に並ぶパンの専門書。つくり方だけでなく、歴史や接客法、絵本まで、「パンに関わるすべてを広く学びたい」と集めて読破。目指すのは「パン屋さんを楽しくすること」という。

それから2年間、「パンとは何か」をひたすら突き詰めていく毎日が始まった。朝6時半からパン屋でアルバイト。夜は専門学校でパンを学ぶという二重生活。卒業後はパン屋を開くことも視野に入れていたが、自分で焼いたパンを記録に残すために描いていたイラストが、その後の運命を変えた。

「先生やクラスの仲間に見せたら、欲しいという人が殺到。就職課の人も「ヘタな写真より小野さんの絵のほうがおいしそうで、パン屋さんに説明しやすい」と言ってくれた。その反応を見て、これは仕事にできるんじゃないかと……」

だが、仕事として実入りを得るまでの道のりは長かった。イラストを持ってパン屋を一軒一軒回るものの、ほとんど門前払い。2000円で絵が初めて売れたのは、卒業して半年後。徐々に評判が広がり注文も舞い込んでくるようになったが、資料やPCなどの経費を上回る収入を得るまでには3年を要した。仕事が軌道に乗った現在でも、前職時に比べると収入は5分の1ほどだ。しかし、お金には代えられない充足感があるという。

「サラリーマン時代はひたすら結果を追い求めて働きましたが、今はプロセスを味わう余裕がある。ときに失敗もするけど、それを含めて楽しんでいます」

(撮影=加藤雅昭)