「記事の全文を削除してください」

本年春から半年間にわたり鴻海への重点的な取材を行ってきたプレジデント編集部も、同様の「怖さ」を目の当たりにする出来事があった。

「私は戦前の台湾生まれで、半分日本人みたいなもの。一方で郭台銘さんは大陸の人(正確には父親が中国出身)です。価値観が全然違った」

「鴻海といざ一緒に事業をはじめてみると、体質が全然合わなかった」

こちらは今年6月、台湾国内で取材した現地企業X社の最高幹部・A氏の談話である。

かつて鴻海はX社に対して、ある先端技術分野での業務提携を提案し、鴻海の子会社とX社の子会社の対等合併を実行。だが、合併後はX社側の取締役や社員たちが鴻海式の苛烈な社風に馴染めず、新会社の業績は低迷した。最終的にX社はこの合併企業の株を売却し、丸ごと鴻海に譲り渡した。客観的に見れば、鴻海がX社の有力子会社を乗っ取ったようにも見える形だった。しかし、取材中にA氏は何度か話の水を向けた私の誘いには乗らず、郭台銘氏や鴻海への明確な批判を避けた。

編集部はこの取材をもとに雑誌原稿を作成した。文中のA氏の発言箇所はX社の日本法人の担当者B氏(台湾人)に事前照会を行ったが、さして過激な内容でもないため、すぐに掲載を快諾するメールが届いた。

プレジデント誌は引き続き、記事の内容に関して鴻海側に事実確認を求めるメールを送った。なかば形式的な手続きである。ところが直後から、事態は突如としてキナ臭いものとなった。

「記事の全文を削除してください。談話の内容は非常に不都合です!」

誌面の刊行が迫った7月上旬、X社のB氏が電話をかけてきた。取材中に見せた陽気なムードは消し飛び、声に焦りが滲んでいる。つい先日までX社側は取材を歓迎しており、弊誌の取材姿勢にも落ち度はなかった。

狐につままれた思いで記事の撤回を拒否すると、B氏はやがて編集部にやってきてこんなことを言い出した。

「書き換えが間に合わないなら、刊行される雑誌をX社がすべて買い取ります!これならいいでしょう?」

弊誌「プレジデント」の発行部数は30万部だ。仮にすべてを買い取れば、日本円で2億円を超える金額となる。

鴻海側にA氏の発言内容を知られたことが、ここまで極端なX社の反応を招いたのは想像に難くなかった。B氏は続いて訴えた。

「私たちは鴻海に訴えられたくない。郭台銘氏を怒らせたくないんです。あの人はチンギス・ハンのように恐ろしい人だ。お願いです!」