いつか本当のことを孝太郎、進次郎に言わなければいけないと思っておりましたが、なかなか言いそびれておりました。孝太郎が高校2年生、進次郎が中学2年生になって、2人を呼んで本当のことを伝えました。『ママは私の姉なんだ』と言ったら、進次郎は『うそ!』と言いました。(号泣)

『いや本当だ。孝太郎、知っているか』と聞くと、『知っていた』。『進次郎に言わなかったのか』『言わなかった』。

ああ、そうか。高校2年生だけど、言ったほうがいいこと、言わないほうがいいこと、わかっていたんだ。いい子に育ってくれたなと思いました。

『進次郎、ママは母親じゃないんだよ』と言うと、『ボクにとっては本当の母親だよ』とはっきり言いました。道子は母親代わりじゃない。実の母親として、孝太郎、進次郎を育ててくれたんだなと。改めて感謝しています。

晩年になって、もう手をかけなくていい。放っておいても大丈夫だと思っているようでしたけれど、故人にとっては孝太郎、進次郎が健やかに成長しているのが何よりの生きがいだったと思います。我々は留守しがちですが、その中でいつも、帰ってくれば道子がいる。我々の帰りを待って、毎日家におりました。

晩年は孝太郎、進次郎が社会に出て、テレビや新聞で活躍しているのを、大変楽しみにしていたようです。休みのときに出掛けるときは、いつも一緒。孝太郎、進次郎は6人の中で元気に育ってくれた。その中心的支えをしてくれたのが、故人、道子でありました。

もちろん近所の方々、お茶をたしなんでいる方々、そして、小泉家に携わる多くの皆さまの温かいご支援があったからこそ、最後まで、死ぬ直前まで、意識がはっきりと、安らかに永遠の眠りについた。大変代えがたいことだと思っております。今日もこうして皆さんにお越しいただき、ありがとうございます。泉下で故人も手を合わせて感謝していると思います。

皆さまのご温情に厚く御礼申して、喪主のあいさつに代えます、皆さま、本当にありがとうございました」