ルールは品質を駆逐する

ルールの重要性を認識することが後れたことは、日本企業が国際競争力を失った原因のひとつだ。欧米企業は自分たちにより有利な国際ルールを制定し、市場を席巻し、グローバル化をどんどん推し進めた。

「いい商品を作りさえすれば売れる」という思い込みは、日本企業が陥りがちな落とし穴なのだ。日本企業に不利なルールを設定されても、それを乗り越えようとしてきたのが今までの日本だった。しかし、ルールに適合していなければ、どんなにいい商品でも買ってはもらえない。だからこそ、ロビー活動を展開し、自分たちの製品が正当に評価されるための土壌を整えることが重要なのだ。

政策決定プロセスの透明化が叫ばれる日本国内の事情と同様に、グローバル時代は、大国であれどもわがままは通らない。すべての国が国際ルールのもとに縛られているからだ。これまでルールがなかった分野に世界的なルールが作られ、今まで使えたものが使えなくなったり、逆に新しい技術が脚光を浴びたりする。慣習やデファクトスタンダードとしてではなく、拘束力のあるルールが空白地帯を埋めるように定められつつある。

かつて日本は、欧米からずいぶんと嫌がらせを受けた歴史がある。特に顕著なのは通商分野においてだ。

1960年代以降の日本は繊維製品、鉄鋼製品、テレビをはじめとする電化製品、自動車、半導体など主力商品を変えながら、世界中に製品を輸出した。日本企業の製品はその品質ゆえ、世界中で喜ばれたのである。しかし、その結果引き起こされたのがジャパン・バッシングだ。日本車は米国でも大いに売れ、米国の自動車産業に打撃を与えた。憤った米国により政治問題化され、日本は圧力をかけられる。

日本は自動車の輸出自主規制という、今日であれば要求側の米国が世界貿易機関(WTO)のルール違反を問われるような歪んだ措置の受け入れを余儀なくされた。そんな過去がある日本だからこそ、ルールで秩序が守られるという現状は歓迎すべきことではある。貿易問題で無茶な注文をつけられれば、WTOに駆け込めばいい。

では国際ルールに任せておけば、もう日本は憂き目を見ることはないのだろうか。残念ながらそうではない。必ずしも日本や日本企業に有利に働くとはいえないルールが次々と生まれている。ルールの運用が、公平性を保って行われるとしても、ルールそのものは、関係各国の主張によって形を変える。つまり、日本が言うべきことを言わずに口を閉ざしていれば、日本に不利益なルールが決められてしまうのは当然の成り行きだ。自国にとって不都合なルールが公平に運用されたところで、それに何の意味があるのだろうか。

日本人はこれまで、ルールを守ることには長けてきた。無理難題をふっかけられても、それを技術力でカバーしてきた。しかし、世界中でルール作りに意識的な国や企業がますます活動を活発化させている以上、もうわれわれもルールを守るだけではいられない。

※本連載は『ロビイングのバイブル』(藤井俊彦/岩本隆著)の内容に加筆修正を加えたものです。

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