プレステ2の生産受注でスピード出世した大番頭

その後、戴正呉は堅実な仕事ぶりを評価され、鴻海が1991年に台湾証券取引所に上場を果たした際には初代のスポークスマンに抜擢された。鴻海は秘密主義的な社風で知られ、郭台銘以外の関係者がメディアの前に姿を現すことが極めて少ないが、戴正呉はこうした経歴ゆえに最高幹部層のなかでは比較的外部に顔を知られた人物となった(ただし発言内容は常に慎重である)。翌1992年には鴻海精密工業の副総経理(ヴァイス・プレジデント)に就任している。

戴正呉の業績は、日本と関係した分野の仕事が目立つ。彼は2000年代前半の時点で鴻海社内に存在した9大事業グループのうちで、最重要部門だったコンシューマー向け電子製品部門の責任者となり、当時のヒット商品だったソニーのプレイステーション2(PS2)の受注に成功。さらにパナソニックからの受注も獲得し、担当事業グループにおけるコストカットや生産スピードの向上にも辣腕を発揮した。

これらの結果、2005年に戴正呉は鴻海グループ(鴻海科技集団)の副総裁というナンバー2の地位に登りつめている。

鴻海は2000年代前半までデスクトップ型パソコンの受託製造をメインビジネスにしてきたが、世界的なパソコンの普及によってこちらの分野の売り上げは陰りを見せつつあった。その際にいち早く新規分野である電子ゲーム機(PS2)の受注を獲得して新たな金脈を発掘し、担当事業グループの売り上げと利益率を伸ばし続けることに成功した手腕が、郭台銘から極めて高く評価されたことが、戴正呉のナンバー2への抜擢の背景にあると言われている。

ところで、戴正呉は鴻海の中小企業時代から30年以上も勤務しており、人材の入れ替わりの激しい同社の社内ではほぼ創業メンバーに近い位置付けがなされている人物でもある。

筆者が台湾の大手経済誌の編集部から直接聞いたところでは、鴻海の最高幹部層は郭台銘の縁戚などからなる創業初期以来の「譜代」(非エリート層)と、大企業化した1990年代以降にヘッドハンティングされた「外様」(海外大学の博士号などを持つエリート層)との間に明確な距離感があり、郭台銘からの信頼度も前者と後者では大きく異なるとされる。事実、「外様」派の幹部には鴻海の苛烈な社風に疲れて離職する例が珍しくない。

戴正呉の出世は、本人の高い能力はもちろんのこととはいえ、郭台銘の信頼を得るに足るバックグラウンドの持ち主であることも関係しているだろう。

現在、戴正呉はグループの副総裁と兼任して、日本円で年額1700億円規模の予算権を持つ設備購買部門の責任者を務めている。戴正呉は郭台銘の親族ではないものの、「譜代」の忠実な大番頭として高い信頼を受けているというわけだ。