「客観的な基準や正解」の呪縛

ワッキーさんと栗原でのワークショップ

栗原の高校生たちには、「おもしろいとは何か?」などと考え込まないように、いきなり、極めて主観的に自分が面白いと思うものを短い時間でたくさん挙げてもらうブレストをしてもらいました。結果的には、ワッキーさんが絶賛するアイディアも生まれ、ワークショップは盛り上がりました。

「おもしろい」をつくるというのは、なかなか難しいことだと思います。何が難しいかというと、「確実さ」や「安定性」と違って、なかなか数値化できないというところです。「すっげーおもしれー!」という言動や行為、現象があったとして、それが他のものと比べてどれくらいおもしろいのか、どうしておもしろいのか、どうすれば再現できるのかなど、なかなか明確にはできません。

そして、そんな「すっげーおもしれー!」ことにも人によって好き嫌いがあって、全然おもしろくなかったという人もいるし、“普遍的”なものにはなかなかなりません。発信者と受け手との関係によっても変わってくるし、「おもしろい」というのはとにかくあいまいなものなんだと思います。

だから、僕たちがこれまで頼りにしてきた「客観的な基準や正解」に「おもしろい」を求めることは難しい。難しいというよりも、すぐにそれに頼ってしまう(探してしまう)ように癖づいていることによって、ドツボにはまり、苦手意識すら生まれてしまうのだと思います。「自分は『おもしろい』ことを考えるのが苦手だ」という人は、きっと答え探しの呪縛にとらわれているんでしょう。