悩みや苦しみを和らげるために生まれた仏教。ビジネスマンの代表的な悩みである「仕事」について、徳雄山建功寺の枡野俊明住職にお話をうかがった。

仏教の世界では、一人勝ちという考えはありません。相手がよくなって、初めて自分もよくなれる。つまり、相手に喜ばれなければ、自分も喜べないという考え方です。

建功寺住職 枡野俊明氏●1953年、神奈川県生まれ。玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。庭園デザイナーとしても評価が高い。多摩美術大学教授。

価格競争や内容の競争というのはいいのですけれど、極端な話、相手を倒産寸前に追い込んで、自分だけ、すごい利潤を上げるというのはありえない。お互いによくなる社会でないと、必ず問題が起きます。

しかし、今の日本は、自分が受けた圧力の捌け口を求めて、ここぞとばかりに弱い立場の人を攻撃する。自分より立場の弱い相手につけこむ負の連鎖が止まらないようにも見受けられます。

では、上司の理不尽な命令や、取引先からの無茶な要求があった場合には、どうすればよいのでしょう。例えば、コスト削減を要求されたとします。それをそのままとらえると受け身ですね。言われたままに従うわけですから、主従関係の従で仕事の主体になっていません。

禅の考えの基本は、マイナスのものをプラスに転じて考えるということでもあります。無理難題を押し付けられたと受け取るか、乗り越えて成長するチャンスととらえるか。「よいチャンスが巡ってきた。私ならさらに改良できる」と、自分を主体にして問題に取り組む。すると苦しみはきっと軽くなるはずです。

人間は働くことによって収入を得て、暮らしを成り立たさねばなりません。ただし、働くことで世の中の役に立ち、ありがとうございますと言ってもらい対価をいただくというのが、あるべき姿だと考えます。

ところが今、世の中の役に立つ、立たないよりも、業績という数字だけに目がいっています。本来、企業とは社会を豊かにし、みんなの生活向上につながるものを提供することにより、成長していくものです。

現代は分業が極端に進んでしまっているので、自分の仕事がどう社会の役に立っているのかが見えにくい。これは各自が己の仕事の意味を問うてみるしかないのですが、人のために役立って、喜ばれてよかったと思えることが、人間が働くことの本質だと禅は考えます。

働くということが、毎日同じことの繰り返しのようで、うんざりしている人も少なくないと思います。

しかし、毎日同じことができるというのは、自分が健康だからこそです。患ったときのことを想像してみてください。今は当たり前と思っていることが、いかにありがたいか。それを感謝する気持ちが持てるようになると、同じことの繰り返しだと思っていた毎日が、新鮮に思えてくるでしょう。