中国景気の減速懸念や英国のEU離脱決定、為替の急激な変動など、厳しい経営環境が続く。新しくトップに就任した男たちは、この逆境にどう立ち向かうのか。

がん、アルツハイマー……創薬支援に活路

4月、古森重隆会長兼CEOから社長就任を打診され、その場で引き受けた。突如、交代することになった理由は、中嶋成博前社長の健康問題だという。新社長が歩んできたのは経理・財務畑。事業構造の転換を進めた古森CEOの右腕として、多くのM&Aを遂行してきた。
――印象に残っている仕事は。
富士フイルムHD社長兼COO 助野健児氏

【助野】ちょうど30歳になった1985年、英国現地法人へ赴任したときの経験だ。当時、当社がロサンゼルス五輪の公式スポンサーになり、世界シェアを伸ばしている時期で、英国では代理店販売から直販に切り替えようとしていた。経理担当としての赴任だったが、現地法人の従業員は40人ほどしかいない。私は自ら手を挙げて営業も兼任して飛び回った。売り上げは爆発的に伸び、特に病院向けのX線フィルムや医療機器の注文が殺到。営業が忙しすぎて経理に手が回らなくなり、私の代わりになる英国人の経理マンを現地採用した。6年後の91年に帰国する際、現地法人は600人の規模となっていた。

――その後、デジタル化の波を受け、写真フィルム市場が急速に縮小。危機をどう乗り越えたのか。

【助野】写真フィルム需要のピークは2000年。03年以降、会長の古森を中心に、フィルムで培ってきた様々な技術を転用し、新しいコア事業をつくる挑戦を行ってきた。その過程で多数のM&Aを行った。現在、ヘルスケア、高機能材料、ドキュメントの3分野を中心に、さらに、デジタルイメージング、光学デバイス、グラフィックシステムを含む6分野に注力している。15年度の売上高は2兆4900億円を超えるが、これは00年の2倍近い水準だ。

私は02年から6年間、米国法人のCFOとして、写真事業のリストラを進めながら、本社が買収した米国企業のポスト・マージャー・インテグレーション(買収後の統合プロセス)を担った。買収した企業の良い部分を活かしつつガバナンスを利かせるための体制づくりを行った。08年に帰国し、12年からは経営企画部長に就き、以後はM&Aを遂行する立場で複数の案件に携った。