その後、NHKの『新人演芸コンクール』で優秀賞をもらうんですが、本来この賞は、落語部門と演芸部門とに分かれているんですが、この年だけは漫才やコントと、落語も同じ土俵だったんです。お笑いの審査員もいっしょに審査してくれたので、この賞をもらえたのだと、今でも思っています。

そのころから、落語以外の仕事も増えてきまして、落語家なのに「何か面白いことをやっているヤツがいる」みたいなことになって。当時、落語家の枠からはみ出したところに、僕はいたと思うんです。そんな僕を「どんなことでもやりたいことをやれ。ダメならまた、ほかのことをやればいいんだ」と、喜んで励ましてくれてたのが師匠でした。僕の今までの人生で一番よかったことは、柳昇師匠との出会いです。師匠がいなかったら、今の僕は絶対になかったといえます。

この世界でやっていけるかなあと、自信みたいなものが湧いてきたのは真打になった(1992年)ころからです。そのころから、猛烈に古典落語が演りたくなりましてね。で、古典を演りだしたら、新作落語では縁遠かった賞(浅草芸能大賞新人賞、文化庁芸術祭大賞など多数)を、いただいちゃった。「なんだ、こりゃ」と思いましたよ(笑)。

僕がこの世界に入ったころは、落語界は冬の時代でした。最近は“落語ブーム”だとか言う人もいますが、僕はそうは思っていません。やっと落語がエンターテインメントの一つとして、落語通じゃない、一般の人たちにも、認知されてきたんだと思うんです。

店先に落語コーナーという売り場ができて、個々の落語家が商品として並び、お客さんが手に取ってくれる機会が訪れたんですよ。その品数が増えれば増えるほど、落語界は面白くなっていく。幸い、僕の知る範囲では、若手の有望株が20人近くいます。早く彼らが店頭に並んでほしいし、期待もしています。そうなれば全体のレベルが上がります。そんな中で、商品価値の高い、力のある仲間と競い合って、お客さんにチョイスされる噺家でありたいと思っています。(談)

(岡村昌宏=撮影 内田武樹=構成)