田中角栄のどこがスゴいのか

【田原】石原さんは反田中だったのに、一方で田中さんに魅力を感じていた。どんなところに惚れたんですか。

石原慎太郎
1932年、兵庫県生まれ。一橋大学在学中の56年『太陽の季節』で芥川賞受賞。76年福田内閣で環境庁長官、87年竹下内閣で運輸大臣に就任。99年東京都知事、2012年衆院選に当選。14年政界引退。田中角栄に成り代わって執筆した『天才』が90万部超えのヒットを記録。

【石原】包容力というかな。無邪気といえば無邪気なんだな。あるときスリーハンドレッドクラブ(茅ヶ崎市)にあるローンのコートで仲間とテニスをしたんです。みんなは昼飯を食いに玄関に入っていったけど、僕は勝手を知っているから近道してテラスから入った。すると、青嵐会の参議院の代表をしていた玉置和郎(元総務庁長官)が座っていて、こっちを見てバツの悪そうな顔をしている。玉置の表情を見て怪訝に思ったんだろうな。向かいに座っていた人がこちらに振り向いたら、闇将軍の角さんだった。

まずいと思ったよ。青嵐会は角さんに弓を引きましたからね。ところが角さんは、「おい、石原君、久しぶりだ。ちょっと来い」と手招きする。恐る恐る近づいて、「いろいろご迷惑をおかけました。申し訳ありませんでした」と頭を下げたら、角さんが遠くにあった椅子を自分で運んできて、「お互い政治家だろう。気にするな。いいから座れ」と言って、ウエイターにビールまで注文してくれた。僕もバツが悪いから、「先生、照る日も曇る日もありますから、またがんばって再起なさってください」と言ったんだけど、角さんは気にした様子もなくてね。「君、今日テニスか。俺は軽井沢に3つ別荘を持ってる。テニスコートが2つあるんだが、子供や孫に占領されてできねえんだ」と言って笑うんです。しまいには玉置に向かって「テニスはいいんだぞ。短い時間で汗かくから」とテニスの講釈まで始めた。それを見て、この人はなんて人だろうと思ったな。

【田原】なんて人だろうっていうのは、どういう意味ですか。

【石原】何というのかな、端倪すべからざるというか、寛容というか。僕は、この人は不思議な人だと思ってしびれたね。

【田原】田中角栄は石原さんのことをどう思っていたんだろう。

【石原】買ってくれてたんじゃないかな。プロスキーヤーの三浦雄一郎っているでしょう。僕はあいつがヒマラヤのサウスコル大滑降のときに総隊長を務めたんだけど、その縁で参院選の自民の全国候補にしたんです。ただ、あいつは肉体派。候補者として不規則な生活をしているうちにノイローゼになってきた。いつだったか長野で講演会をやるというので様子を見にいったら、建物前の石畳にツェルト(小型テント)を張って三浦がビバーク(野営)していて、ニンジンをかじりながら出てきた。「何してるんだ」と聞いたら、「僕、こうでもしていないともたないんです」と。

そのうちに僕は当時幹事長だった角さんから呼び出されてね。「おい、石原君、これは何だ」と差し出されたのが、三浦から角さんへの手紙でした。そこには僕への悪口が綿々と書いてある。「石原はスポーツマンと称しているけどインチキだ」とかね。長い手紙で、ぜんぶに割り印が打ってありました。角さんはそれを見せて、「こりゃ疲れてるぞ。君がついているかぎり勝つに決まっているんだから、休ませろ」という。おまえがついていれば勝てるだなんて、この人は俺を評価してくれているんだとそのとき思いました。

田中角栄の功績は「日本列島を一つの都市圏」にしたこと

【田原】僕は、田中角栄は人間的なキャラクターだけでなく構想力も一流だったと思う。田中角栄は都市政策大綱というものをつくった。要するに日本列島を一つの大きな都市圏にしようという構想です。

【石原】角さんのおかげで日本は今そうなったじゃないですか。

【田原】そう。北海道から九州まで、どこからどこへ行くのにも1日で往復できるようになった。

【石原】日本中に新幹線と高速道路をめぐらせて、各エリアに地方空港をつくった。それはやはりすごいことですよ。われわれは角さんのつくった現実の中にいる。ヘーゲルは「歴史は他の何にも増しての現実だ」と言ったけど、私たちは現代という歴史の中で生きているのだから、角さんをとても否定できませんよ。

【田原】いまの日本をつくったのは、田中角栄の構想力ですか。

【石原】文明史「勘」だと思う。あの人の、先を見通す力はものすごかった。

【田原】田中角栄は法律を議員立法で33もつくった。これもすごいね。

【石原】すごいですよ。僕は大田区の選出だから、中小零細企業を抑圧する下請け契約を監視する経済Gメンをつくったらどうかという法律を議員提案したことがある。自民党の中では「お前は社会党より左だ」と言われたし、労働組合に持っていったら総評(日本労働組合総評議会)も同盟(日本労働組合総同盟)も両方とも反対した。結局みんな企業側だから、けんもほろろに言われた。議員提案はとても難しいんだ。

【田原】なるほど、石原さんは総評や同盟より左だったんだ(笑)。

【石原】そう言われたね。それから角さんとの絡みでいえば、選挙権を18歳に下げようというキャンペーンもダメだったな。前にキャンペーンをやったことがあって、角さんが幹事長で僕が参議院にいたころ、もう一回、やろうとしたんです。それで「自民党の講堂を貸してください」と頼んだら、「ダメだ」と一笑に付されました。

【田原】なんでダメだったんですか。

【石原】角さんには、「選挙権なんて20歳でも早過ぎるんだよ。あんなの未成熟じゃないか」と言われましたね。いま振り返ると、18歳は反権力、反権威で、自民党のためにならないと思ったのかもしれないけど。