しかも、より心のこもった教育を地域住民総出で行える。義務教育とは何か、何を達成したいのか、などをゼロベースから考える、そしてつくる、からこそ経費も何分の1になるのだ。今のやり方のままで削っていっても、せいぜい数%しかできないのと対照的である。

もう一つは高齢者の活用。高齢化社会の特徴は時間も金も余っている高齢者が増えることなのだから、介護、看護、保育の分野などで高齢者が社会貢献できるシステムをつくる。保育施設をつくるより、子育ての経験がある高齢者が近隣の子供を預かるようにしたほうが、よほど安上がりだし保護者も安心するだろう。

コミュニティ総出で責任を持って幼児や子供たちを育てれば、血の通った教育ができるしコストも下げられる。自警団や消防団などの活動も手分けして、たとえば火災発生時に消火活動を行えば、延焼などの被害拡大を防ぐこともできよう。昔はどこの村でもそうやっていたのだ。

要は、コミュニティの住人が行政サービスを分担することで社会コストは大幅に下がり、地域の輪ができる。それが犯罪を減らし、コミュニティの安心・安全にも大きく寄与するのだ。

このように基礎自治体というものをベースにゼロから組み立てるLCC的アプローチをすれば、私の試算では日本の行政コストは5分の1になる。

大きく削れる最大の理由は、日本全国同じ仕事をしている許認可や届けの部分にはクラウドコンピューティング(ネット上のサーバーを利用して処理するシステム)が使えるし、地域住民が行政の仕事を手分けするからである。皆が行政サービスの受益者としてホテルに泊まっているような感覚になっているから膨大なコストがかかるのであり、そのサービスメニューを全国一律で考えるから不必要な無駄が生まれているのだ。

そして、行政コストを下げるインセンティブとして、基礎自治体には「徴税権」と「立法権」を持たせる。コミュニティで使う金はコミュニティで集め、使い道も自分たちで決めるのだ。

民主党の事業仕分けも結局は中央主権的手法である。質問に答えられなかったら全部カットするような乱暴なやり方では、本当に必要なものかどうかは見分けられるわけがない。そもそも必要な金かどうかは、それを使う(そして負担する)コミュニティが最終判断すべきで、国がすべての予算を決めるところに本質的な問題があるのだ。

要らないものをカットするのではなく、ゼロからつくり直して必要なものだけを足していく。そういう発想に変えなければ、機能不全に陥った日本という国家を再生することなど到底できないだろう。

(小川 剛=構成)