何が見る者の心を打つのか

インタビュー当日の滝川さんは、まるで一粒の宝石のような存在感だった。写真撮影の時間、ファインダーをのぞいた男性カメラマンが、思わず目を離して「あの……当たり前のことを言うようですが……すごく、綺麗です……」と素の言葉を漏らし、現場一同で大爆笑したほどだ。イメージ通りの華奢さと香り立つような美しさ、礼儀正しく柔らかな物腰、まっすぐに相手を見つめ、的確な言葉を探しながら答える知的さと誠実さ。テレビで見たままの姿と耳に心地よい声に、最近のテレビ技術は本当に現実に忠実なのだなと妙なところに感心し、そんな容赦のない“暴力的”な技術にも負けずに人前に立ち続けることのできる滝川さんに注がれる天の恵みと、水面下の多大な努力の存在も感じた。

そして思った。女性の私でも魅了されてしまう不思議な引力を持つこの女性は、若いときから日本中に見られること、聞かれることを職業とし、人々のさまざまな視線と関心を引き受けながら自分の声で発信するキャリアを積んできたひとなのだ、と。

それは大衆テレビ文化のただ中で、どこか「自分の芸を売る」芸能人と同列に扱われ、無遠慮な視線や歪曲した関心を投げられながらも、公共の電波を扱う大企業の従業員としてその身とプロフィールを公に晒して情報を発信する、“女子アナ”なる職業を始点としている。画面の一部として「若くて綺麗なお姉ちゃん」というだけの存在価値を切り取られ、一列に並べて比較評価される時代を経て、やがて数多(あまた)いる“女子アナ”のプールから、顔と名前と声を持つ一個のキャリア女性として這い上がる。むしろ、這い上がってからが本当の闘いの始まりだ。自分に対する世間の視線が一瞬たりとも途切れず、無遠慮に眺め回され人々の口の端に上る中で人生を歩むのは、どんな気持ちだろう。どれほどの精神力と努力を必要とするだろう。

「すごく、綺麗です」。人物を専門とし長く経験を積んだカメラマンが、咄嗟に漏らしてしまうほどの綻びのない美しさは、神様が与えてくれた恵みをただぼんやりと享受したものなどでは全くないのだろう。これまでも、今も、世間の関心の渦中で発信し続ける女性の、でもそんな闘いの葛藤や見苦しさなどを微塵も感じさせない、穏やかな自覚と賢明。私は彼女の美そのものというよりも、「人の視線と関心と言葉を引き受ける人生」を選んだ女性の強靭な精神が発する、透き通るような光にこそ、心を打たれて帰ってきたのかもしれない。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。