キーパーソンに電話で毎日確認する

<strong>信越化学工業社長 金川千尋</strong>●1926年、東京都生まれ。50年東京大学法学部卒業。同年、極東物産(現・三井物産)入社。62年信越化学工業入社。78年塩ビ事業の海外拠点である米シンテック社長就任。90年シンテックと兼務で社長に就任。
信越化学工業社長 金川千尋
1926年、東京都生まれ。50年東京大学法学部卒業。同年、極東物産(現・三井物産)入社。62年信越化学工業入社。78年塩ビ事業の海外拠点である米シンテック社長就任。90年シンテックと兼務で社長に就任。

「100年に一度の経済危機」という言葉がマスメディアに登場するようになったとき、これほどセンセーショナルな言葉をいったい誰がいい始めたのか、私は部下に頼んで調べてもらった。

確かに2008年秋以降の景気の悪化は異常事態だった。当社も2008年3月期まで13期連続で最高益(連結)を更新し、昨期も9月の中間期までは増益を続けていた。それが11月以降、業績が急落。ついに減益に追い込まれた。2009年1月のアメリカの住宅着工件数は約49万件と3年前のピーク時の実に4分の1以下だ。

この異常事態を「100年に一度」と表現したのは誰か。調べると、グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長、その人だった。19年間にわたってFRB議長を務め、「金融の神様」「マエストロ」と呼ばれ、何ごとにも慎重な言動をとる氏が、「われわれは100年に一度のクレジット津波のまっただ中にいる」と発言していた。それは事態の深刻さを示す何よりの証拠となった。

もし、ほかの人が「100年に一度」といっていたら意に介さなかっただろう。未曾有の不景気が続く中で状況を的確に把握し、判断するための第一の基本、それは“真に価値ある情報”と“雑音”を聞き分けることだ。

あふれる情報の中で私が最も重視するのは、営業マンが集めてくる需要家の生の声だ。毎日の仕事もそれを起点に始まる。朝、私は出勤途中の車中から、アメリカにある子会社で世界最大の塩化ビニル樹脂メーカー、シンテック社の現地駐在幹部へ電話をかける。アメリカにはこの人がこんなことをいうなら、市場のサインであると察知できるようなキーパーソンの需要家が何人かいて、その言葉はまさに“神の声”だ。それを毎日確認するのだ。

彼らから昨日までなかった動きが出たら、すぐに対応策をとる。市場の調査データに表れたときにはもう遅い。需要家のような変化を生み出すおおもとの当事者の声に耳を傾け、その判断を探れば、ほかの人たちよりいち早く動くことができる。