織りの現場で遭遇した、労働者「賃金搾取」の壁

日本人社長のオフィスに居候し、サポートを受けながら、独立採算制でランプシェードやクッションなどの企画・制作に携った嶋田さんは、3年ほど展示販売に同行する形で販売経路の拡大を担当。2004年にプラネッタ・オーガニカを立ち上げた。主力商品として寝具を選んだのは、天然素材を手織りし、草木染めで作った生地の心地よさを伝えるには肌にもっとも近く、接している時間が長いリネン類が適切だと考えたからだ。

写真上/糸紡ぎや手織りの現場は、女性によって支えられている。伝統手技の継承を目指した後進指導もプラネッタ・オーガニカが担う役割の1つ。写真下/上質なコットンやヘンプを使用したリネン類は、タイのセレブレティからも愛される創業からの定番。

素材のコットンやヘンプは前職と同じところから仕入れたが、布の織り場探しには苦労した。

「タイでは、織り場で働く織り子さんをチームリーダーが統率する形なので、仕事の発注者が織り子さんたちと直接やりとりすることは許されません。工賃も全てチームリーダー経由で支払います。ところが、最初にお願いしていた織り場では、気が付くと、織り子さんたちに適正な工賃が払われていませんでした」

振り返れば、不審なことは多かったという。村に行くたびにチームリーダーの車が新調され、いつの間にか自分の店まで開いている。その豊富な資金源はどこにあるのか。疑問を抱き織り子さんに話を聞くと、チームリーダーが工賃の半分を懐に納めていたことが判明した。

「まだ私も20代でしたし、タイ語もあまりできなかったので、甘かったですね。最終的には織り子さんが『事態は変わらないから、美由紀はもうここから手を引いた方がいい』と言ってくれた。4年も仕事をお願いしていたところでしたから、残念でしたが、その言葉を聞いて決断しました。でも、別の村もなかなか見つからず、途方に暮れた覚えがあります」

不当労働の是正に立ち向かう嶋田さんは、いっこうに改善しない現場に見切りをつけなくてはならなかった。そして安定供給できる新たな発注先を求めて動き始める。

三田村蕗子
1960年、福岡県生まれ。津田塾大学学芸学部卒業。流通業界を中心にビジネス全般を幅広く取材する。『論より商い』『夢と欲望のコスメ戦争』、デリバリービジネスの最前線をルポした『お届けにあがりました!』など著書多数。

撮影=三田村蕗子