とにかく過酷だったカプコンでのアルバイト時代

会社を3年ほどで辞め、専門学校のデジタルハリウッドでグラフィックデザインを学びはじめた。深夜までアルバイトを掛け持ちして、生活費を稼ぎながら授業に通う日々。そのとき、募集広告を見て飛び込んだのが、カプコンという会社だった。

「ソニーのプレイステーション2が発売され、ゲームに求められるグラフィックのクオリティーが一気に高まった時期。会社は大量の人材を必要としていました。あの頃は職場の環境が今よりずっと過酷で、締め切り間際にはアルバイトも社員もその辺の床で寝ているような忙しさだったんです」

グローバルタイトルの開発を担う第一開発部の定例会議で、タイトルの戦略などを議論する。原さん以外のメンバーは全員男性だ。

先輩も同僚も男性がほとんどで、くたびれたトレーナーにサンダル履きというスタイルが当たり前。数少ない女性スタッフにも、アルバイトのグラフィックデザイナーにも、成果は厳しく求められた。

スキルの足りない者は契約を更新されず、一つの開発が終わると半数が辞めていく。そんな環境で2年間を過ごし、晴れて正社員に採用された原さんには、自分で仕事を勝ち取ったという自負があった。採用後すぐ、累計800万本を売り上げた大ヒット作「鬼武者」シリーズの背景を任されたことも実力の証しだ。

出産後の2004年からは、「ロスト プラネット」シリーズの背景リーダーとして初めて部下を持ち、若手の育成を担う立場にもなった。