「これ本当に女性の方が書いた文書ですかね」

写真を拡大
Change.orgで集まった27682人の署名は、山尾志桜里議員が受け取り、その後、塩崎恭久厚労相に手渡された

ところが、「#保育園落ちたの私だ」とあれほど多くの女性、男性たちが声を上げ、国会前デモが敢行され、Change.orgでのネット署名には約2万8000筆が集まって塩崎恭久厚生大臣へ託されたというのに、「日本死ね!!!」の字面の激しさだけにとらわれて、書き手の本質的な思いやテーマがまったく理解できない人々もいる。

「これ本当に女性の方が書いた文書ですかね」「言葉が日本語としては汚い」「教育上の影響も懸念」――国会でのみずからのヤジを「『日本死ね!!!』という言葉の悪さ」のせいにして一向に議論の焦点が合わず、視聴者からの嘲笑を浴びた平沢勝栄議員や、「『保育園落ちた日本死ね!!!』は便所の落書き。東日本大震災の被害者に申し訳が立たない」と、待機児童問題と震災の喪失をごった煮にするという論理破綻もはなはだしいブログで「理解力が低い」とネットで評され、小さく話題を提供した40代の男性杉並区議などを見ると、「この人たちは、保育園に入れるかどうかが、どれほど子育て中の働く父母にとって生命線であるかを本当に知らないのだろうなぁ、そして“真に”怒れる女性と真正面から対峙したことがおよそないのだろうなぁ」と不足を感じる。

男は怒っていいが、女は怒ってはいけないということ?

特に平沢勝栄議員の「これ本当に女性が書いた文書ですか」発言に至っては、この待機児童問題でデモや署名に参加したような当事者たちとの、何万光年もの距離、むしろ次元の差さえ感じる。

平沢勝栄議員(公式サイトより)

女性とは激しい感情を持たない生きものだとでも思っているのだろうか。あるいは、激しい感情をあらわにする女性は「まともじゃない」、だから「そんな人間の言うことは信憑性がない」と信じているのだろうか。では、まともに扱われるべき品性ある種類の女は、死ぬまで静かに涙でも流して、歯を食いしばって耐えでもするのだろうか。怒りを表すことすらできないなんて、そんな女性像がまかり通る社会こそ、正直いってマトモではない。

翻って男性には、怒りが非常に簡便な“男らしさ(?)”の表現として実に頻繁にまかり通り、声を荒げたり毒づいたり暴れてみたり、そんなことが実に容易に許されている。平沢勝栄氏本人からして、これまで数々の政治家同士の“ケンカ”で名を売ってきた人物のはずだ。それなのに、なぜ女が世の理不尽に対して怒ったら、それは「ろくでもない」と切り捨てられるのだろうか。なぜ正当な怒りとして尊重されないのだろうか。待機児童問題の理不尽と深刻さを瞬時に理解できなかった政治家に向けて、当の女性たちからのみならず男性からも、嘲笑に近いツッコミが殺到している。