資本市場関係者にある「透明性神話」とは

しかしそれにしても、果たすべき貢献の大きさ、負っている責任を考えれば、日本の役員報酬は低すぎるように私には思える。欧米の水準は逆に日本社会の常識に照らせばおかしいと思うが、今の倍程度の大きさにしてもまったくおかしくはないという感覚がある。

たしかに欧米は日本に比して、個人間格差についての社会的常識の目分量が大きいようである。だから、優秀と判断される個人の抜擢をいとわない。また、報酬の格差が大きくなっても当然と思える。しかし、その考え方も度を過ぎれば、社会の批判にさらされる。

30年ほど前まで、アメリカの経営者の報酬水準はこんなに高くなかった。新入社員との年収格差は10倍とか20倍とかいわれていたのである。それが今は、300倍、400倍の格差になったという。しかも、欧米の高額の経営者報酬が経営者自身のお手盛りで、自分の利益を追求しているのは企業の利益に反する行為だ、という高額報酬への批判も出てきた。

こうした強欲と利益相反問題がきっかけとなって、欧米で金融機関の役員報酬の開示への強化や制限が要請されるのは納得できる。だが、なぜ役員報酬が低すぎることが話題になるような日本で、役員報酬開示の強化が必要なのだろうか。

皮肉な見方をすれば、開示するとあまりに低いので恥ずかしくなり、自分たちが責任を果たしていないことへの自省につながるとか、恥ずかしすぎて大きくすべきという声があがる、それを狙っている、という見方もあるかもしれない。さらに、企業の役員が自らリスクを取る決断を促すために、インセンティブの仕組みとして役員報酬を大きくし、かつ公表したほうがいい、という考え方もあるようだ。