カルチャーが「企業にとっての“当たり前”」の集大成だとしたら?

仕事に対する向き合い方を始めとして、時間の使い方、コミュニケーションの取り方、同僚との距離、社会的なコミットメントなど。カルチャーという言葉がカバーしているものを例に挙げればきりがありませんが、これらの多くは「これが正解」というものは特になくて、企業を始めとして、属している組織によってケースバイケースのものばかりです。

自分にとって“当たり前”だと思っていることでも、所属している場所が変われば、全く“当たり前”ではなくなってしまう。当然といえば当然なのでが、意外と忘れがちな視点です。

例えば、部下に仕事を依頼する場合「これは当然のことだろう」と思ってあえて言わなかったことが、相手にとってはそうではなく、意図が正しく伝わらなかった……というシーンはよくあります。こちらは当然だと思っているので、その説明は省略しますし、分かっているという前提で仕事を進めてしまいますが、部下はその部分が分かっていないのでボタンを掛け違えた状態になってしまう。結果として仕事が上手くいかないというケースは、他人事ではないという人も多いはずです。

企業はそういう齟齬(そご)が起きないように、カルチャーギャップのない人を揃えようとします。“当たり前”のズレを補正することによって発生するコストは意外にバカにできないからなのです。新卒採用を好む企業の中には「別の“当たり前”を持っている人に、新たな“当たり前”を植え付けるコスト」と「まったく“当たり前”がない人に“当たり前”を教え込むコスト」を天秤にかけると、後者が安いからだというところもあるくらいですから。

あなたの“当たり前”と違う“当たり前”を持つ人が“当たり前”の時代

説明をして理解を求める、そして、仕事を円滑に進める。このプロセスをある程度省略して、そこにかけるコストを削減することをそれこそ“当たり前”のことだとしてやってきた企業の中には、別のカルチャーで育った、いわゆる違う“当たり前”を持った人たちの受け入れに失敗して、結果的に人手が足りない、という現象がよく起きています。

「あの人は優秀だと思って採用したのに、結果的にうまく機能しない」というケースの原因を探っていくと、カルチャーギャップだった、というのがその本質です。

だから冒頭のカルチャーという言葉の使い方の例に挙げたように、そのギャップのない人を採用しようという動きになるのですが、当然ながらそういう人材はなかなかいない。人が足りない、どうしたらいいのか分からないといった状態だと、結果として、能力を優先し、少しのカルチャーギャップには、ある程度目をつぶって……ということになりがちです。

もしあなたが部下を持つ立場なのであれば、部下ときちんとコミュニケーションを取り、業務を円滑に進めることは最も大切な仕事の一つです。いくらまずい採用であっても、配属されてきた中途採用のメンバーが機能しなければあなたの責任になってしまう。違う“当たり前”を持ったメンバーとのコミュニケーションに対して、一定の労力をかける必要があると、改めて認識しなければならない時代がやってきているのです。