大人になった今、社会のあちこちで彼女たちと再会することも多い。メディアで見かけ、「聞いたことのある名前、見たことのある顔だな」と思ってよく調べると同級生だったこともあるし、クリニックで診察室に入ったら医師が同級生だったこともあるし、仕事先で名刺交換をした瞬間に「もしや!」とお互い顔を見合わせることもある。今年43歳、私から見ればキラキラした“本流”で、優れたポストに2本足でしっかり立つ彼女たちの頑張りと出世がまるで自分のことのように嬉しくて、みんなあれからどうしてきたのか、何を考えてきたのか、話を聞きたいと切に思う。

コラムニスト・河崎環さん

そんな友人たちの一人が、先日大きなプロジェクトを終えたのでねぎらいの言葉をかけた。「ありがとう! いま倒れたら確実に過労死認定よ」と笑う彼女が、しかし思いもよらぬ心中を告白してくれたのだ。

「でも、こんな状況ではいつまでたっても産めないよね。うちの会社はダイバーシティーに手厚い制度が整っていると有名で、もし妊娠したらもちろん人事上も親切に配慮される。その分、激務のポストに行かされるのは子どもがいない人。不妊治療に何百万もつぎ込んでも、妊娠できない人は、ずーっとできないのよね。まあ、私は結婚が遅かったのでもうあきらめたけれど……」

仕事のできる彼女がひっそりと漏らした本音に冒頭の小野文惠アナの言葉が重なり、ああ、ここにも“捨て石”を覚悟しかけている女性がいるのだ、しかもそれは私の同級生なのだ……と胸がぎゅっとした。

「捨て石」なんて言わないで

私自身は学生時代に早めの結婚出産をして“新卒専業主婦”になるという、「だいぶ教育にお金をかけてもらったくせに、何にもならなかったわね」と親類縁者に目も合わせてもらえなかったほど周囲をひどく失望させた経験がある。そんな、本流じゃない劣等感を抱えてぐるぐるしてきた身としては、憧れ続けた本流のあの子たち、経歴に傷もしくじりもないあの子たちが、いま“捨て石”なんて自分たちを呼んでいること、呼ばざるを得ないくらいに何かに打ちひしがれていることが、私も悔しくてたまらない。

小さい頃からずっと努力して努力して、ピカピカの経歴を維持すべくまたひたすら努力して、その結果子どもを産まなきゃ“社会の捨て石”になるって、なんだよそれ。どういう世の中なんだよそれ……。