自身の強みを発見し拠点を米国へ

海外にも多くの仲間ができつつあった頃、米軍病理学研究所(以下、AFIP)から研究員としてのオファーがくる。遠隔病理診断分野をリードしていた日本から研究者を招きたいと考えていたのだ。

しかし、社内では「なぜ女性の八木が米国に」という声が上がる。がん診療ネットワークづくりに貢献し所属部門が拡大していたが、皮肉なことに、経緯を知らない同僚や上司も増えていたのだ。

最終的には、周囲の力添えもあり、会社に在籍のままAFIPと共同研究を行っていたジョージタウン大学での研究機会をつかむことができたが、日本で働き続けることの限界も感じていた。

渡米したばかりの頃。スポーツカーが好きで、当時はフォード・マスタングに乗っていた。

遠隔病理診断という研究分野は医師が研究者の中心である。そのため、医学分野にも明るい“技術系”研究者は米国でも重宝され、滞在中に複数の大学から新たなオファーを受ける。

派遣期間が終わる頃、ついに彼女は決意する。

「拠点を米国に移そう」

それまでの知識と経験とネットワークをフルに活かし、ピッツバーグ大学で研究者として働くことを選んだのだ。

世界トップクラスの医療機関へ飛び込む

ピッツバーグ大学で10年間研究に励んだ後、2007年に東京医科大学で医学博士号を取得。それと同時に、マサチューセッツ総合病院(以下、MGH)に招かれ、研究拠点を移すことにした。

MGHは世界でもトップクラスの医療機関であり、医師やスタッフも多いが、その病理部門で“工学”の専門家を助教授として採用するのは1811年に設立して以来初めてのことだったという。

現在の医療情報分野は、米国が世界をリードしている。その米国でキャリアを積んできた八木さんは、最近では年に何度も帰国し、大学や研究施設で講演やアドバイスをする立場になった。その依頼先の中には、かつての職場の名前もある。