仕事ぶりと男っぷりのよさを兼ね備えたイイ男を紹介する本連載。「人生は出会い。導かれるままに」とマリンビストとしての地位を築いてきたSINSKE(シンスケ)さんは意外や意外、「自己否定型のタイプ」と自分を評します。ストイックなまでに自分を追い込む彼のスタイルとは? インタビュー【後編】です。

マリンビスト SINSKEさん。マリンバとの出合いは中学のブラスバンド部でのこと。その後、音楽大学入学を薦める音大教授や、師となる日本のマリンビスト・安倍圭子氏との出会いがあった。人との出会いに導かれるままに、そこに素直に全力を注いできた結果、今のSINSKEさんがある。

鍵盤打楽器であるマリンバは、オーケストラでは打楽器奏者が担うケースが多い。桐朋学園大学在学中にマリンバのソロ演奏を聴き、マリンバの可能性に魅了されたSINSKEさんは、打楽器奏者ではなく「マリンビスト」としての道を築きたい、と心機一転、奨学生としてアントワープ王立音楽院へ留学を決める。22歳、彼はあえてマリンバ科のない音楽学校を選んだ。

マリンバは、19世紀後半の後期ロマン派以降にできた比較的新しい楽器。ゆえにクラシックの楽曲は多くなく、当時はマリンバの専科がない音楽学校もあったのだ。

「マリンバ文化のない学校に、マリンバそのものを認めてもらうところから僕の
留学生活は始まりました。学校にマリンバは1台もなかった。とにかくマリンバの素晴らしさを学校に知ってもらいたくて、自分のマリンバを校長室の近くの階段の踊り場に持ち込んで、早朝から夜中まで弾き続けました。そこしか練習場所がなかったんです(笑)」

インタビュー前に、軽く演奏をしてくれたSINSKEさん。4本のマレットで奏でる、あたたかくも澄んだマリンバの音色は、木のぬくもりに包まれているようで、なんとも心地よい。是非、生音を聴いてもらいたい。コンサート情報は最終ページで。

嘆願書も出した。校長室の間近でマリンバ熱に取りつかれたように日夜練習する日本から来た青年に、ついに学校側も根負け。ようやく、学校予算でマリンバを買ってもらった。「それが23、4歳くらい。学校には今はマリンバ科ができてるんですよ」と、屈託なく笑うSNSKEさん。その端正なルックスとスマートな人柄、順風満帆に見える彼からは想像できない、文字通り血のにじむような努力で築いてきた軌跡だ。

熱血だけではない、したたかな一面もある。学校はあくまでも自分のマリンビストとしての道をつくる行程だった。一方で一流の演奏家になるための指導は外に求めた。フランスのパリとストラスブールに、ベルギーから国境を越えて指導を受けに行っていたのだ。

マリンバに出合う前は、状況に流されるタイプの男の子だった彼が、そこまで固い意志を持つようになったは何が理由なのだろう。

「僕は踏んづけられてのし上がっていくタイプではない。打たれ強くないんです。褒められて育つタイプ(笑)。アントワープの校長からは『マリンバをソロで演奏できるのは面白い』と仕事を紹介してもらい、とてもよくしてもらった。当時はそれに報いるように、マリンバという楽器で学校に功績を残すという想いもありました。人に必要とされて、やる気が出るんです」