交渉をするとき、相手が何を考えていて、どのような戦略をとろうとしているかを強く意識しているだろうか。勝ち取る契約の価値は、相手の「背景」を意識することで確実に高まる。

チェスの無敵の世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフが、1997年にディープ・ブルーと名づけられたIBMのスーパーコンピュータと対戦したときのことだ。IBMがディープ・ブルーの過去の試合データをカスパロフに与えることを拒否したので、彼はディープ・ブルーの強みや弱点をほとんど知らないまま試合に臨んだ。

第2ゲームがかなり進んだところで、ディープ・ブルーは、人間しかしないはずの不思議な動きをした。カスパロフは驚き混乱して、集中力を失った。そのゲームに負けたあと、カスパロフは人間が手を貸していたのではないかと疑って、コンピュータのログ・ファイルを見せてくれと要求した。IBMはそれも拒否した。それ以後、カスパロフは自分の謎の相手がいったい誰なのかよくわからなくなった。彼は結局、この6ゲームの試合に敗れた。

カスパロフの敗戦については多くの説明がなされてきたが、彼が相手の「頭の中に入る」ことができなかった事実は、とくに注目に値する。

経験豊富なネゴシエーターにとって、カスパロフが直面した「相手は何を考えているのか、どのようにしてあの動きを思いついたのか、なぜそれをやろうとしているのか」という問いはお馴染みのものだ。企業幹部がコンピュータと対決することは少なくとも近い将来にはないだろうが、人間の対決相手もディープ・ブルーに劣らず不可解なことが多いのである。

理解不能な動きをするネゴシエーターと交渉するとき、どうするか。相手の背景を理解することに全力を集中すればよい。

本稿では、相手をより深く理解して交渉の質を高めるために、視点設定(perspective taking)――他者の視点、役割、隠れた動機などを積極的に検討し、理解すること――の手法をどのように活用すればよいかをお伝えする。相手の「頭の中に入る」ことがうまくできればできるほど、あなたの交渉の結果はよくなるはずだ。