まあ、地方で日帰りで山登りをせねばならないような事例は特殊案件だとはいえ、働く女の装いは、さまざまな側面から見て難しいものだと思う。スーツやスカートやハイヒールといったあらかじめ期待されたドレスコードがある場面も多く、自分が「着たい」服装(例:ジーンズにTシャツにビルケンシュトックのサンダル)と、世間に「着てもいい」と許してもらえる服装(例:スーツにパンストにパンプス)は必ずしも一致しないからだ。

コラムニスト・河崎環さん

女性の服装の難しさは、選択肢の多さにも比例するのだろうと思う。例えばかつての女子大生・OLファッション向け赤文字雑誌間における、ブランドや持ち物による微細な差別化は、そのまま「キレイ系」「カジュアル系」「ギャル系」などなど、その雑誌を読んでいる女子の生き方を規定していた。私は子育て系で長い間書いてきたけれど、今やママ雑誌(Webメディアであることも多い)の種類の多さや、それぞれの雑誌の世界観で棲み分けている「◯◯系ママ」のファッションの多様さは驚くほどだ。働く女性のファッションだって年齢層別、趣向別にさまざまあって、たまに「えっ、そこ攻める?」という差別化の末にあえなく廃刊を迎えているような雑誌もある。女性ファッション誌は群雄割拠、戦国時代なのである。

男性のようにむしろバリエーションが少なくて、「サラリーマンの仕事着とはすなわちスーツである」と、好むと好まざるとに関わらず有無を言わせぬ基本軸がある方が、あれこれ悩まなくて済むのかもしれない。これは「制服 vs 私服」の学校での論議と似ていて、何かしら制限というかガイドラインがある方が、人間はそれに関する思考を部分的に放棄できてしまうのだ。

色味ひとつとってもそうだ。ゆるふわな明るい色調から、アースカラーやダークな色調まで、いまや女性はどれでも選べるからこそ「今日は何色に……」「この色は私に似合わないからこっちかな……」とまた悩む。折しも色見本帳で知られるパントーンが、例年1色しか選ばないはずの「カラー・オブ・ザ・イヤー」で2016年の色にパステルピンクとパステルブルーの2色を選び、そこに「性の平等」とのメッセージを込めたとして、注目されている(参考記事:http://wired.jp/2015/12/09/pantones-colors-of-the-year/)。

パントーンは、2016年のカラー・オブ・ザ・イヤーにパステルピンクとパステルブルーの2色を選び、そこに「性の平等」とのメッセージを込めた。

パステルピンクは欧州文化ではかつて男性向けの色だと考えられていた歴史的な経緯や、パステルブルーがいまや男児よりも女児の服の色であることなどを踏まえると、「そういえば男なら、女ならという色の傾向は社会的に教えられたものでしかなかったな」と思い至るのだ。少し前にはトイザらスが「女児はピンク、男児はブルーというステレオタイプの刷り込みをやめよう」と売り場の色分けを廃止したと報道されていたが、パントーンの既成概念を崩していこうとする姿勢にも表れているように、色の世界にもジェンダーレスが流れ込んできている。確かに、私のクローゼットは事実上ダークカラーばっかりの真っ黒で、夫のクローゼットとの境界が分からない。