新旧交代劇を制し、2015年1月、大塚久美子社長が新たに代表の座について1年弱。立て直しに奔走した今年を振り返り、騒動当時の心境とともにこれからの大塚家具を語ってもらいます。

久美子社長、2015年を総括する

2015年は大塚家具にとって、とりわけ試練とチャレンジが重なった1年間だったに違いない。父と娘、どちらが社長を続けるのか。生活に欠かせない家具という商品への愛着と思いは全く同じ。ただ、今後目指すべき経営の方向性が異なった。それが、まるで創業家の争いに見える「騒動」に発展し、ニュースとなってしまった。その間、取り乱すことなく、常に冷静に対応し続けた久美子社長に拍手を送った読者も多かったのではないだろうか。

株主総会を経て、経営は娘の大塚久美子氏に正式に引き継がれた。2015年の中期決算は黒字を達成、年末には大掛かりな、展示品一掃のための「全館全品売りつくし」を催して、2016年は本格的に新生・大塚家具が船出する。

家具専門店の業界最大手企業を率いる女性社長として、着々と経営に邁進する久美子社長に「今、思うこと」を率直に訊ねた。プレジデントウーマンオンライン、独占インタビューである。

――本当にいろいろあった1年だったと思います。社長が困難を乗り越えて守ろうとした大塚家具の強みを改めて聞かせてください。

大塚家具 大塚久美子代表取締役社長。会員制を見直し、中価格帯を主力に生き残りをかける。柔らかな印象そのままに、信念の人でもある。

弊社は昭和の初めから埼玉県の春日部市で桐タンスを作っていた工房で、「モノづくりの会社」というベースがあり、それこそが原点です。また、東京から近い埼玉の地の利を生かし、産地でありながら消費者に直接販売したSPA企業(製造小売業)の草分けでもあります。

ですから、私どもはメーカーとしてモノの良しあしがよく分かります。作り手がいて、それをまとめる産地問屋がいて、消費地の2次問屋、小売……と最低でも4段階を経て消費者に商品がわたる複雑な流通経路が伝統となっていた家具というジャンルにおいて、弊社はその常識を打ち破った企業です。

ただ、SPAというと新しい経営戦略のように聞こえますが、そもそも昔は「モノを作って売る」のが普通だったわけで、弊社は近代的な分業を経ずに前近代的なやり方をそのまま現代に持ち込んだ企業だったのかもしれませんね(笑)。

いずれにせよ、「作って売る」は、モノをよく分かったうえで良いモノを安く売れますし、お客様の情報やニーズも直結で受け取れる。この強みを生かして自分たち以外の商品もどんどん扱い始めたのが、大塚家具の小売としての発祥です。問屋とは基本的に取引しません。作っている現場を自分たちの目で必ず見て、確認できる工場とお付き合いさせていただきます。さらに季節変動のある需要を弊社が在庫調整することによって、安定的に工場を稼働させ、生産コストを抑えるようにしています。

1969年に小売業として創業してから各メーカーと信頼関係を築き、コツコツと品ぞろえを増やして、豊富な商品を取りそろえられるまでに30年かかりました。良いモノを安くお客様に届けたい一心でここまできたのです。こうした点が弊社の最大の強みと考えていますし、今後も絶対に変えてはいけない部分です。