女親の場合、子育ては文字通り「プロデュース」で、自分の中から生産する行為なのだけれど、男親は、当初は自分の中から生み出されたという感覚には乏しい。あるベテランの産科医が「父性は社会的につくられる」と言っていた。おっかなびっくり子育てをするうちに、子どもの中に自分に似た部分や異なる部分を見て、愛おしくて面白くて仕方なくなるのだという。さらに子どもが娘だったりすると、娘が可愛くてメロメロになる父親が多数出現し、とあるファミリー向けのSUVの広告や子持ち男性をターゲットにした雑誌の文句にもよくあるように「うちのお姫さま(自分はエスコートする従者)」「娘にモテたい」といった感覚へと進行するようだ。

そうそう、病院関係者の話によると、長く闘病していた人はずっと我慢していた好物を口にした後に、どこか「これでもういい」と満足したかのように他界することが多いのだそうだ。それと同じなのか、高齢の男性がこと切れるのは「自分の娘」の顔を見た後であることも多いという(高齢女性の場合は、息子に限らず自分の子どもや家族なのだそうだ)。残された家族はそんな様子を見て「もう、どんだけ娘のことが好きやねん!」と泣き笑いで突っ込むしかない。

とはいえ、「パパと娘」「ママと息子」のスイートな補完関係に浸るのを許してもらえるのは、子どもが小さいうちだけ。やがて相応に成長した彼らは振り向くこともせず、時に少々辛辣な言葉を残して、飛び立ってゆく。飛び立たなきゃ困るし、親は子が飛び立つようにしなきゃいけない(できない人も時々いる。それは双方にとって問題だ)。だから大人は子どもが飛び去っていくと、そっとバスタオルならずタオルケット一枚分、嬉しくって寂しい、甘酸っぱい涙を流して愛しい子どもの成長を噛みしめるのだ。……ほら、それはやっぱり、密かな恋に似ているじゃないか。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。