産む人にも物語は数限りなくある。例えば子どものいる母親同士でかしましく集まっているところに、「出産のとき、どうだった?」という話題を投下したら、それだけであと1、2時間は話すだろう。出産の方法やどこの病院で産んだか、その時垣間見た有名人のウワサ話、出産までどんな暮らしをしてどんなアクティビティをしたか、食事は、ファッションは、家族や親類、周囲からどんなことを言われたか……。妊娠までの物語、妊娠してからの物語、出産当日の物語、産後の物語など、産んだ人の数だけ「涙なしには聞けない話」あるいは「すべらない話」があると思っていい。

だからこの「子宮にまつわる話」が世間で扱われるとき、あちこちからいろいろな感情が沸き起こるのだ。少し前なら女性ミュージシャンの「(高齢出産なんて)羊水が腐っている」発言や、元厚生労働大臣の「産む機械」発言などもそうだった。「女は子宮で考える」なんて手垢のついた表現に「女性の知性をバカにしている」と怒る女性知識人もいるけれど、確かに女の子宮は「考えはしない」が、子宮を持っていることによって「ホルモンバランスが思考に影響を与える」のは事実。それは十分に実感しているはずだと思うし、多分彼女たちはそんな自分と闘っているのだろう。

「子宮がないほうの性は、そういうものの考え方をするのかー!」とあまりの無邪気にすがすがしささえ感じたのは、結婚相談所にやってくる男性医師が、お相手に希望するスペックの話を聞いた時だ。こう言ってはなんだが、ボトムラインとして、全体的に整っているというかまとまっている男性医師なら、大抵は医学部6年間の間にしっかり女性側からアプローチされて売れている。彼らにとって超売り手市場のはずの自由市場なのに、自助努力で解決しなかったという時点で、結婚相談所にまでやってくる男性医師は自身に何らかの原因があると考えるべきだと思うのだが、その彼らが自分の年齢がいくつでも関係なく「お相手の女性は26歳まで!」と要求するのは常識なのだそうだ。

なぜ26歳なのか。その根拠は「医者、特に開業医の家では後継ぎを担保するために、妻は3人産むことがスタンダード」だから、なのだとか。3人産めば、多くの場合1人、うまくいけばそれ以上に男子が生まれ、頭の出来不出来に関わらず1人は後継ぎになってくれるだろうという目論見で、しかも「母親が高齢だと卵子が不健康なので子どものIQが低くなる(!)」という、私などからしたら皮肉を込めて「それを広言するなんて勇気があるなぁ」と思うような危険な信条から、その3回の出産は30代前半までに無事に終わらせなければならない。すると、結婚相手は現在26歳までのプールから選び、付き合ってお互いを知り、結婚する頃には27歳、初産年齢は28歳で、第3子は遅くとも32、33歳で産み終えるという「万端な計算」なのだという。